Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2016年04月18日(月) |
黒いオルフェ菊地雅章東京ソロ2012 |
うー、21階の控え室で国会中継みてゴロゴロしてられるのも今週でおしまいなのね、GTA5ゲームができるPC機の導入が週末だ、由紀さおりのクレオパトラの涙、アニソンかい?リクエストに応じるぅ、
黒いオルフェ菊地雅章東京ソロ2012、ECMを聴く、 消しゴムで消しても消しても残る筆圧の溝に残る黒鉛が監視カメラに映る亡霊のように響いている、 わたしはこの東京文化会館小ホールに居たけれど、この録音は響いていなかった、そこには存在していなかった、 あの会場でアコースティックピアノをかれこれ50回は聴いている、 このECM録音には東京文化会館小ホールの響きはない、 それにしてもECMらしい美しいピアノの響きだ、この残響音、集中した意識、 菊地雅章のあそこのどもり一音が狂気を顕にするように定着している、それは手術台の上で切開された鮮やかな色彩のように感じられる、 久々の東京でのステージ、娘のアビさんも聴いている、少なくとも俺に残された時間は足跡よりは短いだろう、 アイヒャーは聴きたいものを創りあげればそれでいいのだ、 これは菊地雅章の音楽ではない、唸りの無いプーさんの演奏はそれはプーさんが創ったものでもリアルに体験した聴衆に届けられたものでもない、 ガラスで固められた永遠に美しい屍体を届けられているのか、 こんなことを誰も許してはならない、 ECMマジックたるアイヒャーのリバーブの禍々しさよ、姑息さよ、この醜さよ、 あいつは心底音楽がわかっていないな、 こういう行為をすると必ずや祟りとなって身に降りかかるものだとわたしは思う、
昭和44年の五稜郭駅前は、市電の始発プラットホームもにぎやかに行き交うトラックやバスと密度を上げていたし、駅前はぐるっとバス停留所が4つはあって、停留所のガードレールには空き缶をくくりつけた痰壷、年寄りが次々と痰を吐き出すのを見て、あれは何だ?何のために吐き捨てているのだ?というズレた質問を母と祖母に連れられてしていたのだ。焼き鳥屋が道路まで椅子とテーブルを出しており、人でごった返していた。
2010年に訪れた五稜郭駅前は見渡すばかりの国道わきに過ぎない。ロータリーのカーブもまるっと消滅した一直線の国道になっていて、バスの停留所ひとつあるだけ。タクシーもいない。何かの冗談だろ?人々はどこへ消えたのだ?
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