Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年02月02日(日) |
30日のサントリーホールは三善晃のお別れの会 |
ちょっと丘に登ったくらいで腰まわりの筋肉痛になるなんて。
昨日のみみをすますモードで、夜勤に出ると都心の高層ビルは騒がしい。深夜、ビルとビルの間を音響が洪水になっている。ゴミ収集車の機械音やウインカー注意アナウンス、カラオケ屋のガラス越しの振動のような低音音楽、タクシーのクラクション、たくさんの車のタイヤがアスファルトをこするサウンドが分厚い層になって、高層ビルの空調設備の轟音と混じって、街全体が唸っているのだ。
わん、わん、わん、わん・・・・。犬の遠吠えではない。
いつもは自分の行動判断に必要な音しか耳が拾っていないのがよくわかる。
モニター画面がたくさん並ぶ防犯カメラ集積スペースにデスクがあるけれども、そこにはほとんど居ないように勤務している。理由は他のスタッフよりもあちこちデスクから飛び回る仕事熱心さからではなく、モニターの放つ超音波が耳と脳に痛いからだ。
だがしかし、耳は慣性にすぐに戻る。”みみをすます”指向は3年前のジル・オーブリー『カイロ』盤で不意に到来していた。CDを聴こうとして、そうなった。みみをすまそうとしていたわけではなかった。日常の風景の変容は衝撃的だった。
14世紀の設計図によるクラヴィコードの音色ははかなげで、聴衆に聴かせるものではなく神への祈りであったという出自がいとおしい気がする。ハンマーダルシマーはアジアにもヨーロッパにもあったっけ。クラヴィコードはハンマーダルシマーの拡張だろう。
30日のサントリーホールは三善晃のお別れの会。休みを移動させたので見送っていたが、皇后さまが臨席されたり、岡田博美がこのために帰国してピアノ演奏を披露したり、なかなか得難い会だったようだ。皇后さまが子守唄として口ずさんだ旋律をもとに「おもひ子」を作曲、それを三善晃が編曲したことがあり、長年の交流があったという。おいらも行きたかったなあ。
先週、ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団とみなとみらい、サントリーを回っていたヴィルサラーゼさんの1日だけリサイタルがトリフォニーで開かれる。
エリソ・ヴィルサラーゼ ”最高のシューマン弾き”女流ピアニストの最高峰 11年ぶり、待望のソロ・リサイタル
『レイヤー化する世界−テクノロジーとの共犯関係が始まる』佐々木俊尚著(NHK出版新書)
レイヤーという文字にひかれて手に取った。イブン・バットゥータの十四世紀の帝国の記述が鮮烈だ。車輪。文字、帆船、印刷、電気、自動車、鉄道といった技術革新が帝国=場のありようを変遷させてきた。超多国籍企業のほとんど無料にちかいITインフラが、最期の帝国状態、ウチとソトの逃げ場の無いフラットな場となってしまう。ネグリ=ハートの『帝国』が土台なのだと。超多国籍企業は国民国家を無視し政府を動かし、という現代までの世界史が見通されている。あらまあ、と。国境も人種も宗教も無くなったら、わたしたちはノルウェーやインドやエチオピアの労働者と競わされるのね、賃金としては。崩壊する民主主義と国民国家までの理路ははなはだ説得力がある。グローバリゼーションは不可避で、その中で、文化や住所や血縁や趣味や、いろんなレイヤーに拡がって草原の上を生きてゆこう、と、希望的に語られている。なんだかご都合主義な未来モデルに思える。
国家は超多国籍企業の商売道具になる。軍隊も紛争も。
じつは明治維新からそうだった、グラバーの暗躍を見よ、ってか?
弱者を支えるしくみはどうなってゆくのだ?
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