Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2014年02月03日(月) |
エリソ・ヴィルサラーゼ@すみだトリフォニー |
錦糸町から見上げるスカイツリー、と、こないだ見下ろした錦糸町。
エリソ・ヴィルサラーゼ
モーツァルト/ドゥゼードの「ジュリ」の「リゾンは眠った」による9つの変奏曲 ハ長調 K.264(315d) ブラームス/ピアノ・ソナタ第1番 ハ長調 作品1 ハイドン/アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6 シューマン/交響的練習曲 作品13
戦後クラシックの黄金期を彩った大御所たちの一端に触れた。スタインウェイを鳴らすとはこういう演奏だということがわかりました!ラダメス師。ほら、ゲルバーは体重でガツンガツンこう弾けと教育的指導をするようなベートーヴェンだったことを憶えているけど。
これが基準で最高値なのだ。モーツァルトらしいモーツァルトはいらない。しっかりと重力を鍵盤に伝えて輪郭をくっきりと歌う。スイングさえしているように自在だ。シューマン弾きというのもうなずける、これ以上が望めないような質感をたたえていた。
こういう例えは適切ではないがキース・ジャレットの最初のソロの1曲目「イン・フロント」を高度にした感じだ。
シフやピリスの現代最高峰のピアノのラインは、無重力とタッチの軽やかさと響きの透明さだから、まったく別のジャンルのように思える。ピアノが違うか。
「音楽の抑揚が大きく、呼吸も深いのですが、一音一音の輪郭が非常に鮮明で、特にトリルの響きの美しさときたら、正に純白の真珠を思わせるような透明感と光沢、そして気品に満ちあふれたものでした。」(中村匠一さん)
歓びとスタンディング・オヴェイションに涌いたすみだトリフォニーホール。
「エリソ・ヴィルサラーゼ ピアノ・リサイタル」は、3/21(金)19:30〜21:10 NHK-FM「ベストオブクラシック」で放送されます。
アンコールはシューマン/『森の情景』より「予言の鳥」、「献呈」(リスト編)、ショパン/『2つのワルツ』より変イ長調「告別」、「華麗なる大円舞曲」の4曲。
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大地と灯台 ― エリソ・ヴィルサラーゼのリサイタルに寄せて 青澤隆明(あおさわ たかあきら/音楽評論)
エリソ・ヴィルサラーゼ。その名前は畏敬を籠めて、ひとつの護符のように、あるいは魔法の呪文のように、人々の心に唱えられてきたのではないだろうか。誇り高きロシア・ピアニズムの良心として、濃密な情念と直観を貫く強烈な演奏表現者として、厳格な教育者として、エリソ・ヴィルサラーゼは現代のピアニストのなかでも独特の存在感を示していた。 いまわずかに過去形で記したのは、東京で実演に触れる機会がしばらく途切れていたからで、その分の歳月が彼女独自のピアノ芸術にどう影響したか、それを生々しく体験できるのが、多くの聴衆が長らく待望してきたこの度のリサイタルになる。初来日は1970年だが、リヒテル・ファミリーの偉才という言葉とともに日本で改めて女史の魅力が紹介されたのは1993年から、95年、99年、2003年、06年と世紀をまたいだ来訪だった。オール・ショパン、モーツァルトとシューベルトでのリサイタルや、ナターリャ・グートマンとのデュオ、テミルカーノフとのチャイコフスキーの協奏曲なども鮮やかな記憶を残している。 すみだトリフォニーホールは「ロシア・ピアニズムの系譜」をひとつのテーマに掲げて公演を展開するが、ヴィルサラーゼは20世紀末から現在にかけて、その巨大な大地における灯台のような役割を果たしてきたかのようにみえる。ロシア・ピアニズムの多様な個性と潮流を、祖母アナスタシア、ゲンリヒ・ネイガウス、ザーク、オボーリン、リヒテルらとの交友から肌で感じてきた彼女は、自らの強い確信と個性でその期待に応えてきた。ソヴィエト連邦がロシアになり、グルジアが独立しても、ヴィルサラーゼの演奏にはかの地のピアノの黄金時代の力強い精神がなお鮮やかに脈動しているに違いない。大地に灯台というのは妙な言い回しではあるが、ロシアの内外からみても、ヴィルサラーゼの音楽家としての存在感は大きく、暗い海を照らすに相応しい強さをもってきたのではないか。独特の個性と濃密な主張を展開する演奏家でありつつも、大学院時代から教育活動にも情熱を傾けてきた筋金入りの教育家として、その脈絡を新しい世代に強い信念で伝えている。 このリサイタルは、秋のマレイ・ペライア、年明けのクリスチャン・ツィメルマンに続く「トリフォニーホール・ピアニスト・シリーズ2013-14」への登場ともなるが、ヴィルサラーゼはドイツ・オーストリアのレパートリーを絶対的な領域として掘り下げてきた名手であるだけに、本シリーズの掉尾を飾るに相応しいプログラムを組んでいる。 プログラミングに関しては「象を産むくらいしんどい」と彼女は微笑んでいたが、ここでは古典派とロマン派の充実作を交互に弾く美しい構成をとった。ヴァリエーションをひとつのテーマとするが、モーツァルトとハイドンの曲はなかなか実演で聴く機会も少ない。ブラームスのハ長調ソナタの第2楽章も主題と変奏だし、シューマンの「交響的練習曲」とともに若い頃の作品でもある。ヴィルサラーゼの深い没入、想像力の沈潜と飛翔、焔のような情熱が多様に沸騰することだろう。 演奏会の始まりはウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜91)。9つの変奏曲ハ長調 K.264(315d)で、ニコラ・ドゥゼードのジングシュピール『ジュリ』第2幕のアリエッタ「リゾンは眠った」を主題とする。かの喜歌劇は1772年にパリで初演、モーツァルトは1778年の再演に触れてその夏にパリ、もしくはザルツブルクに帰郷して書いたと推定されてきたが、さらに後年の作とみる説もある。86年にウィーンで初版された。1740年代に生まれて名声を極めたドゥゼードの歌劇から、モーツァルトは12の変奏曲変ホ長調K.354(299a)にも旋律を採っている。本作はトリルやグリッサンド、分散オクターブなど高度な技巧を要する変奏曲で、主題をハ長調に転調して用いた(第5変奏はハ短調)のもモーツァルトの大胆な意欲の表れだろう。 同じ調性をとるヨハネス・ブラームス(1833〜97)のピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品1が続けられるが、ハンブルクから出た偉才は1850年代に3曲のピアノ・ソナタを完成させ、その後ピアノ独奏曲に関しては、変奏曲の連作、そして連弾作品、小品群へと歩んでいった。3つのソナタは1852〜53年に集中して作曲され、嬰ヘ短調(作品2) 、ハ長調(作品1)、ヘ短調(作品5)の順に成立したが、その間の53年9月にはロベルトとクララのシューマン夫妻との運命的な出会いがあり、ときの訪問でブラームスが持参して彼らを熱狂させたのも先の2つのソナタとスケルツォ(作品4)だった。シューマンの仲介で出版され、ヨアヒムに献呈されたハ長調ソナタ作品1は、ベートーヴェンのソナタ作品106("ハンマークラヴィーア")やハ長調作品53("ヴァルトシュタイン")を範として、広い音域でのダイナミックな運動を活用している。冒頭楽章はアレグロで、ハ長調主題の輝かしい力強さで始まる。緩徐楽章はアンダンテ(ハ短調)で、作曲者自身が「古いドイツのミンネ・リート」によると注記した12小節の旋律主題に、3つの変奏とコーダが続く。第3楽章スケルツォはアレグロ・モルト・エ・コン・フオーコ(ホ短調)、ピウ・モッソ(ハ長調)のトリオをもつ。フィナーレはアレグロ・コン・フオーコ(ハ長調)のロンドで、終盤に勢いを増し、冒頭主題を力強く歌って締め括られる。 演奏会後半は、先達ヨゼフ・ハイドン(1732〜1809)の「アンダンテと変奏曲 ヘ短調 Hob.XVII:6」から。哀切なヘ短調と愛らしいヘ長調の2つの主題をもつ二重変奏曲で、長大なコーダにいたって、ハイドンの変奏技巧の高みが感動的に歌われる。1793年の作曲で、良き理解者だった貴族マリアンネ・フォン・ゲンツィンガー夫人をその死で失ったことが、同年に書かれたこの曲の深い感情表現に繋がっていると言われるいっぽう、モーツァルトの愛弟子だったバルバラ・フォン・プロイアーの思い出に捧げたとみる説もある。 ドイツ・ロマン主義音楽の象徴的な存在、ロベルト・シューマン(1810〜56)が遺したピアノ独奏曲の多くは、彼の悩み多き20代に集中して書かれている。若きシューマンはパガニーニに魅せられ、ヴィルトゥオージティへの熱狂を抱いたが、超絶技巧が抱くデモーニッシュな求心力とダイナミックな運動性に、彼はロマンティックな夢をみていたに違いない。超絶技巧の名人芸と内密な詩想の対立は、ピアノの演奏から、批評家そして作曲家へと道をつける方向に帰結した。「交響的練習曲 作品13」は、1834年から35年にかけて作曲された大作で、シューマンの独創性が圧倒的なスケールで結実をみせている。1837年ウィーンでの初版では、主題(嬰ハ短調)と12の変奏曲の形式をとり、輝かしいフィナーレでは新しい主題を変奏主題に織りなして、壮麗なクライマックスをかたちづくる。「変奏形式による練習曲」の表題を付した52年の改訂再版では、初版から「第3番」と「第9番」が除かれている。ブラームス監修による1873年旧全集の補巻にはシューマンが発表をしなかった5つの練習曲も遺作として追加されたが、ヴィルサラーゼはこの追補を頑として採らず、今回もおそらく初版の楽曲構成にもとづく演奏を行う。
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