Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2013年11月19日(火) |
ヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団第760回定期演奏会 |
東京文化会館(上野)へ、ヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団第760回定期演奏会。 Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra チャイコフスキー、マルティヌー、スークの「アスラエル」
32さいの若き指揮者ヤクブ・フルシャの渾身の指揮に震える。チェコ出身のチェコを体現する使命感すら感じるフルシャが、チェコの3人の作曲家を振る。わたしは、こないだ伝統のチェコ・フィルを聴いてきたばかりではないか。フルシャの健闘、都響の奮闘、出てくるものは、なぜにか伊福部昭のゴジラ出現のサウンドスケープだったりする。
敗戦のトラウマが放射能のゴジラを骸骨のウルトラマンを生んだ、そういう国だったか。美しい国を標榜する総理大臣も、グローバル仕様のおもてなしプレゼンも、わかるような気がする。福一の依然危険状況という、横っ腹にドスが刺さったまま血を流している。目は血走っている。戦後の日本語はそういうものだったと思う、二百年経ったらわかる。
オーケストラという様式を獲得し、チェコの指揮者でチェコのクラシックを弾いても、日本人が弾くとどうしても「日本(語)的なるもの」になってしまう。これは世界に追いついていないとか、本場に負けてるということではないんだ。(まあ、それはいいや)
ドヴォルジャークの弦楽だけの夜想曲、うっとり浮遊する映画音楽の開祖みたいなありがたさ、ありがたや、ありがたや。
マルティヌーは、オーボエ奏者のインタビューによる紹介が一等いい。ドキドキ、そのような曲なんだろうなー、と構えた。しかし、現代ジャズとか変拍子ロックとかでストレッチされている耳では、硬いカステラを味わっている感じ。クラシックだからな。前半部分の女性がたたく大太鼓が、やたら良かった。突出していた。マルティヌーには、ここ数年のコンサート通いで何度も感動している。
ECMでマルティヌーの室内楽?トラックがあったような・・・。もっかい聴いてみよう。
小ホールのほうでは、作曲家・平尾貴四男の没後60年記念演奏会をやっていた。う、う、う、内心こっちのほうに行きたいなー。プレス招待券交換できへんのかな。
練馬区光が丘図書館近くの黄色く輝く秋の光が丘公園。
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