Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年04月21日(土) 橋爪亮督グループ『アコースティック・フルード』発売記念ライブReview

4月20日(金)
橋爪亮督グループ『アコースティック・フルード』発売記念ライブ

たまげた。CDレビューに書き忘れてた。CDだと8曲目、「Journey」、こ、これには、ソルスティスSolsticeの「Oceanusオシアナス(大洋神)」の遺伝子が宿っているではないか。橋本学はこともなげにクリステンセンのグルーヴを叩き出してきている。ピアノの佐藤浩一が挑発するようにコードをぶつけてゆく、即座にフレットレスベース織原良次とタイコの橋本学がグルーヴを変化させ沸騰するような変拍子ファンクなんだか自在にタイム感覚をかく乱させる。

佐藤〜織原〜橋本のラインがすごい。音楽の推進に乗って進めるに留まっていない。ほんのわずかな触発で、どんどんスイッチを変えて、取り憑かれたようにグルーヴが手におえない状態に持ってゆかれる。

CDだと4曲目、「The Last Day of Summer」、これなぞ原曲の枠ぎりぎりまでグルーヴを高めておいて、決めのシンコペーションを挿入してくるワザで、これにはエバーハルト・ウェーバーのカラーズでしか聴いたことのないトキメキだったりする。た、たまんねー。

しかし。ソルスティスだのウェーバーだの、70年代黄金期ECMレーベルの必殺チューンでもって彼らを語るってのは、まったく失礼なハナシだ!おれは若い頃ジャレットやメセニーやガルバレクを、ジャズの巨人たちとの類推で語ったり評価しているオヤジどもに接して、まったく不愉快であった。そんなジジイがはびこる世の中には生きまい、ましてや、そんなジジイになるまいと鉄板の決意でいたのに、おれが今書いている所業はナンなのだ?

喫茶茶会記で『アコースティック・フルード』をかけてもらったら、みんなじっと聴いて、若い女の子たちが「これ、すごい」「きもちいい」と顔を紅潮させているではないか。彼女たちの「たださん、いいですね、これ!」に応えて・・・「ほんとさー、一時期のパット・メセニー・グループを聴いているような美しい旋律と疾走感だよねー(あちゃー!またそーいうこと言ってら!)、ライブではこれまた拡張されて・・・(上記の能書きが語られる)・・・なんだよー!」と、てめーが演ったわけでもない手柄自慢のようなクソオヤジ顔をしている自分だったのだ、彼女たちは「うん!うん!」とにこにこしながら、(オヤジ、語ってるよお、助けてよお、この音楽にカンケーないじゃないー)と思っていたに違いないのだ。

新宿ピットインでは、最前列には若い白人男性の3人組、小学生を連れたオヤジ、前から半分はテーブルの上に配布物のように新作CDが並んでいる、「早く帰ってコレ聴きてえ」と若いサラリーマン、「ジャコ・パストリアスというベーシストがいてね」と連れの女性を口説いている兄ちゃん、ビールかっくらいながら「十五夜」ではいびきを響かせた中年サラリーマン2名、うしろのほうにはロシア語を話す白人女性4名、などなどという早くもインターナショナルなファンが集っている様相だった。

ああ、ピットインの光景だけがじつに説得力ある記述なのだ。

久々に体験するスーパーグループの出現だ。どのプレーヤーもリーダー格の実力を誇示しており、一触即発の不穏に漲っている体だし、おれはタイコの橋本学がキーだとにらんでいて、というより彼のプレイに耽溺していると素直に書いたほうがいいか。

エルヴィン、デジョネット、クリステンセンから始まって、法王ポール・モティアンをあたまにジム・ブラック、本田珠也、ポール・ニルセン・ラヴ、トーマス・ストローネンの叩きに未来を聴いてきたわたくしであるが、モティアン亡きあと耳はジャズよりもフィールドレコーディングやエレクトロアコースティックなサウンドに向かっている。そんな中、霧が晴れるように橋本学のドラミングがわたしのすべての体験を乗り越えて出現したのだ。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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