Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2012年04月20日(金) |
アコースティック・フルード/橋爪亮督グループ Review |
タダマス5があさってです。 今夜は橋爪亮督グループのCD発売記念ライブ新宿ピットインです。
4/20(Fri)Ryosuke Hashizume Group New CD「ACOUSTIC FLUID」発売記念ライブ@新宿 PIT INN 20:00〜 2sets 橋爪亮督(Tenor Sax, Loops) 市野元彦(Guitar, Effects) 佐藤浩一(Piano) 織原良次(Fretless Bass) 橋本学(Drums) 4/25発売予定のレコーディングメンバーによる発売記念ライブです。 今のところ、このメンバーでのライブはこの一夜限りです。 CDの先行発売も行う予定です。ぜひお越し下さい!
まだ掲載されていないJazz Tokyoに投稿したレビューを置きます。
★
入手してから毎日聴いているよ。ごめん、勝手な聴取を許してくれ!
1曲目、「Current」の、黄昏の空を遠く見つめる・・・、このカンジ!ポール・モチアンの向こうに見ていたサウンドなんだよ。つまびきで辿る一音一音の市野元彦のギター、たまんねー。神ドラマー橋本学の叩きも、モチアンが憑依したようではないか。キーワード「漂う」「空間」「深い心情」、なんていう美しい旋律を吹くのだよ、橋爪亮督。ああ、モチアンが居なくなっても君たちがいれば大丈夫だ。おい、アイヒャー、聴いてるか。年間ベストテントラック確定の現代ジャズだ。ああ、4分。はかない。
はあああ。感動のため息だ。このトラック、おれはモチアン追悼に聴く。
2曲目、おー、これはテレビドラマ制作者必聴の、恋人に遭いに行くシーン、または、相手の行為の意味に気付いて気持ちが高まってゆくシーンだ、恋がしてーぜ。おお、ピアノが入るとライル・メイズが奏でるメセニー・ミュージックみてーだぜ。え?タイトルは「Last Moon Nearly Full」、って、十四夜・宵待月のことか。3曲目もイメージ喚起力が高い。シンバルをブラシでシャカシャカと加速する感じが持続するサウンドに、コンポジションが行き渡っているナンバーだ。
橋爪亮督グループの4年振りの新作。すべて橋爪のコンポジション。野球解説者ではないけれど、「橋爪、仕上げてきましたねー」と言う出来だ。ライブで練り上げられてきたキラーチューンが9トラック、遊びトラックなくたたみかけてくる連続奪三振の投球である。
まず、魅力的なのは、橋爪のサックスにはオリジナルなヴォイスがあるということだ。これを獲得できるサックス奏者は少ない。奇を衒った書き方になるけど、デヴィッド・シルヴィアンの声のようなものだ。長身で甘いマスク、真実にしか興味がないような純真な性格、そんなものはグルーピーのおねえちゃんたちにあげようではないか、そんなところもシルヴィアンみたいだな、しかしながら、この翳りのある旋律、どこか彼方を眼差すような絶望の淵から還ったような旋律、おれのようなECM者には余計にたまらない。
コンポーザー橋爪が牙を剥く。バークリーを出た橋爪、クールジャズ〜トリスターノで研鑽した運動神経は時にマーク・ターナーを凌ぐインプロヴァイザーぶりを閃かすわけだから今すぐにニューヨークに行ってモティアンのバンドの門を叩けとおれはかつて断じた。しかし彼はそうしなかった。自分のグループで国内での活動を続けた。次第に、オーディエンスであるわたしにも気付いてきた。ギターの市野元彦、彼のユニット「rabbitoo」や「time flow trio」、渋谷毅とのデュオ、外山明とのトリオ、で浮上する世界最先端と言い切っていい創造。タイコの橋本学、おれは自分のコラム「タガララジオ」で歓びをもって100曲目に選んだ「十五夜」(http://www.jazztokyo.com/column/tagara/tagara-17.html)で気付くまで聴いていなかったのだな、いつ「化けて」いたのだ橋本学、モティアンを自家薬籠中にして自在に彼にしか叩けないタイムを創造しているではないか。つまり、橋爪はこのグループである必然しかないものであるし、あちこち気ままにCD聴いて勝手なことを言っていただけなのだなおれは。
橋爪亮督を、コンポーザー橋爪とインプロヴァイザー橋爪とに分けて聴くわたしだ。こないだのアルトサックス宮野裕司とのツーサックスでの国立ノートランクスでのインプロヴァイザーぶりにはぞぞけが立ったぜ。自分の曲をがっつり吹くトーンの魅力、スタンダードを絶妙に吹っ切れて入ってくる魅力、・・・思えばわたしが益子博之と最初に会ったのも橋爪の目の前であったけれど、益子が橋爪にスポットをあてたライブシリーズ「tactile sounds」(喫茶茶会記@四谷三丁目)を昨年スタートさせており、意識はさらに向こう側の可能性に跳躍しているようである。
ラスト9曲目「Home」が流れる。NHK大河ドラマのテーマ音楽担当者のみなさんは必聴だ。ああ、またそんなおちゃらけたことを書いてしまった。毎日苛酷な夜勤をしているおいら、仕事が終わるときに「Home」を口笛してしまってるんだ。ソバ屋の出前が口笛するだけのジャズがかつてあった時代のこともあるけど、ミスチルの「口笛」の心境で吹く50さいのわたしだ。
(追記) このCDはtactile soundsという自主レーベルでディスクユニオンを通じて販売されている(http://diskunion.net/jazz/ct/detail/JZ120323-59)、益子さんがテキスト書いてますね。タワー、HMV、アマゾンでも買えるようです。
(追記2) タクタイル、触覚という語。岩波科学ライブラリーの「触覚をつくる――《テクタイル》という考え方」で図示された(http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20120329)ところは、音楽の聴取においてもうひとつのパラダイムを用意しているように思える。新入社員の表情がどんなふうかわかるようにジャズはわかる、と、オノセイゲンは示唆的に書いた記憶もよぎる。大きく脱線すれば、「いいか!思い詰めたもの、それがアートだ」とおれは子どもに話したこともある。演奏は視える。そもそも音には人間性だとか感情なんてカンケーないんだが、何か学理にもグルーブにも空間性にもジャズの文法にも還元できないものはある。わたしたちはまだ旅の途中だ。
(多田雅範 / Niseko-Rossy Pi-Pikoe)
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