Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2009年11月21日(土) マーク・ターナーのFLYトリオECM盤のレビュー




放置しておとくと最新日記だけが目立ったままです。
マーク・ターナーのFLYトリオECM盤のレビューをJazz Tokyoに投げたのでここにも掲載。



どんてんに凧をあげるボク。マーク・ターナーの新譜を聴くキーワードを思いつく。凧をあげるボクはタイコのジェフ・バラード。なかなか揚がっていかない凧、たこたこ揚がれ。涼しい顔してダンタカタンタカ、走る、スピードをかえてみたり、ベースラインに身をまかせたり、どう?凧さん、揚がってくれる?なかなか揚がらない、ぜんぜん揚がらない、おまえ凧じゃないのかマーク・ターナー、おまえまで涼しい顔してどおする、おれは凧が揚がらない恥ずかしさをまぎらすために涼しい顔して走ってんだぜ叩いてんだぜ。

このフライ・トリオ、グループのHPまである。
Savoy Jazz から04年に出ていた『FLY』はぜんぜん出来が悪いんで購入してすぐにユニオンの査定に出した。あれに比べると、2作目である今回はECMでの録音であるせいか彼らの成熟か、ずっと聴き続けてしまう演奏意識の継続がある。

揚がらない凧。なんだこのCD?

6曲目、これまた再度揚がりそうにない凧の曲想・・・ひょうひょうと涼しいままやんけ。・・・わお!キター!9分10秒のところで、出たぜ、天国的なあのマーク・ターナー!これだ!これだ!これだ!10分30秒で演奏は終わる。この1分ちょっとのためにこのCDはある!たったそんだけのためにかよ!というツッコミが聞こえてくるが、おれはこの1分ちょっとがあったおかげで、CD全体にまで聴こえ方が変わってしまってこの数ヶ月に20回以上このCDを聴き続けているのだ。揚がらない凧が楽しいのだ。釣れないで糸を垂れている印旛沼のバス釣りで日がな一日をぼーっと過ごす釣りびとのトランスを識ってしまうのだ。

現代ジャズの2大サックス奏者マーク・ターナーとクリス・ポッター、と、おれは今年の夏まで思っていたが、トニー・マラビーを加えて3大サックス奏者と訂正するだよ。あとモチアン爺が叩いているマイケル・アドキンスとビル・マケンリー、これも加わってきそうなかんじ。マケンリーについては原田さんによるこんな記事まである。わお!マケンリー、ディアンジェロ、メルドー、グレナディア、モチアンという!おいおいアリかよ!そんなメンツー。

CDレビューなんだからマーク・ターナーについて紹介しなけりゃいけない?それよか、みんな、どうやってマーク・ターナーの存在に気付いたの?ターナーの凄さなんてCDに録音されてこなかったんだぜ?彼のリーダー作でさえ。おれがこの2年連続でJazzTokyoで年度代表盤として挙げたフェレンク・ネメス盤の1曲目とカートのライブ盤2CDの「A Life Unfolds」17分54秒の2トラックこそが、ターナーの真骨頂だ。あとYou Tubeにあったソロ演奏、ホールでスポットライト浴びてクラシックのソナタのように朗々と吹きさがる(彼の場合吹き上げるとは表記が異なるのだ)動画もいい。

おれがマーク・ターナーに出会ったのは2001年にオフィス・ズー()が主催したターナーの初来日ライブだった。オフィス・ズーはNYジャズシーンの逸材をいち早く日本によんでライブを企画してしまう、そのそらおそろしい早耳ぶりはコアなファンには有名だ。おれはこのときのライブで耳が大きく旋回するように変容したのだ。当時書いた記事がこれだ。

「これで、21世紀を迎えた世界が聴くべきサックス奏者といえば、ジョー・マネリ、林栄一、マーク・ターナー、菊地成孔、ミシェル・ドネダの5強がまずは出揃った」なんて書いている。かわいいぞ、おれ。まだまだいけるぞ、おれ。50、80、よろこんで。

で、みんなどの演奏をもってしてマーク・ターナーはすごいとか、才能あるとか、思うわけ?カート・ローゼンウィンクルとの双子のようなコラボレーションぶり?じゃあ、CDではカートのどの作品のどのトラックの何分何秒あたり?ぜひ知りたいんだ。こんどユニオンに行ったら店員にきいてみよ。ちゃんとこたえろよ。おれ行く日に仮病で休むなよ。

でさ、ターナーの初来日公演んとき、五野洋さん(現55レコード・プロデューサー)は「トリスターノだね」と言ったわけだ。おれは目を白黒させたわけだ。そんで、その後、ターナーがリー・コニッツんところでセッションしたときに、コニッツが「トリスターノは何やる?何できる?」ときかれて「どの曲もだいじょうぶです」と涼しくこたえたターナーだったと、おれは知るわけだ。昨年平井庸一グループのライブで衝撃的な演奏を涼しげに披露した橋爪亮督()だけど、橋爪がトリスターノを演るこのグループにいた意味が俄然と浮かび上がってきたりもするわけだ。ターナーも橋爪もトリスターノという基本運動をみっちりとやったスプリンターであるという共通の背景を知るわけだ。

ECMアイヒャーは『ニューヨーク・デイズ』()で、このマーク・ターナーを捕らえた。そのターナーのレギュラー・トリオをこうしてリリースしてきた。次はどういう形でターナーを問うことになるのだろう。おれはね、突拍子もないこと書くけど、ウェイン・ショーターのフットプリンツ・グループで(ECMじゃないけど・・・)、ショーターの立ち位置で吹かせてみたいんだよね。ショーターの現在って、決して老境の悟りの語り口ではないように感じる。きっとね、本CD6曲目の1分ちょっと、を、高濃度で、不穏かつ大胆、吹かないで黙っている時間にもターナーの旋律が持続するような不敵な笑みのようなもの・・・日本語になってねえな、今は品行方正好青年なターナーもやさぐれてギャングに悪役のようなツラ構えになって、さ、キュートなかしゆかのような新人女性サックス奏者に「ターナーさま、どうしたらそのようなフレーズが吹けるようになるのでしょうか、おしえてください」なんてうっとりきかれて、ニヤリの笑うターナーは「おじょうさん、指の2本も斬り落とすようなことができないとこのトーンは出せないんだぜ、ベイビー」なんて劇画ちっくにこたえるわけだ。ううう、たまんねえな。

(多田雅範)

追記!
コンポスト編集長の益子博之さんはこのCDをレビューしてないと思ったけど、げ!書かれている。

そ、そうかー。禅か。禅といえばニック・ベルチュであり、ジョン・ケージだな。中庸の美学か。おれの聴取では「意識の継続」が快楽になるためには「6曲目の1分ちょっと」という契機が必要不可欠だった。それがなかったら「揚がらない凧はつまらん!」と背を向けたと思う。「置いてけぼりを喰ったかのような感覚」になったと思う。いやー、益子さんのレビューを読んだので、またこれから聴いてみよう。

追記2!
このCDレビューを書く直前に、たまたま編集CDRに入れておいたhitomiの「体温」を聴いて、「おおー!このhitomiの下降する旋律のよるべない切なさは、おれがマーク・ターナーの下降する、だらだらと鼻水をたらしてちり紙でビュルビュルかんでいるとドロヨーンと脳みそまで鼻から出てくるような感覚、と、共通性がある!」と、ヒラめいて、それを書こうとガッツポーズを決めていたんだが、あまりにくだらないんでやめた。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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