Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2009年06月13日(土) |
シュビヨンの夜 20090613 @サウンドカフェズミ(吉祥寺) |
げ。シュビヨンて59年生まれなのかよ!おれより2つ上で今年50さいなのか。あのカッコよさはせいぜい40になるかならねえかだと思っていたが。フランスのジャズ即興ベーシスト、ブルーノ・シュビヨン。ルイ・スクラヴィスのECM盤『ラモーのらんぼう』、マルク・デュクレのスクリューガン盤『ヴェルディのお化け』などで弾く。ダニエル・ユメールらと来日したときの演奏の核心を衝く硬質なベースプレイに、おれはおののき、また、「アイヒャーはシュビヨンのベースソロを作りたくならなかったのか?」と疑義を記すものであったが、カフェズミにそのソロ作品があることを先月知り、今日は来店するなり「いずみさん、時間があるとき、リクエストさせてください・・・」とこっそり言ってみたのでした。
Hors-champ / Bruno Chevillon ( D’Autres Cordes records 2007 )
興奮さめやらぬうちに書く。この夜。井の頭公園を展望する地上23メートル、サウンドカフェズミで、シュビヨンの音響が鳴り響いた。屋外階段に出るお店の鉄トビラも開放されていたのだから、吉祥寺の上空に向かってシュビヨンの音響は放たれてもいたのだ。楽しい思い出、哀しい思い出、ガールフレンドとのいくつものシーン、井の頭公園のあちらこちらにざっと数えておいらには50のシーンが点在している。見事な仕掛けのラストナンバーまで、シュビヨンの音響、ジャズ即興のベーシストのソロ作品とは到底思えない。ノイズ、アヴァンギャルド、即興でありつつ、時にダンサブルでさえあり、沈黙の挿入するセンスも決まっていて、ポップでさえあった。ノイズのドラマツルギーを構成する手法は、感覚的には最先端なものではない。シュビヨンの世代とセンスに収まるところのもので、決して「新しく」はない。しかし、総合的な表現として、見事な完成度を見せている。アヴァンギャルドにも、美しいロジックの構成があることを、獰猛なシュビヨンは、その本能と釣り合うだけの知性をもって証明したのである。この構想作業は、作曲家が交響曲を編んだり、ロックバンドがサージェントペパーズを作ることに似ている。カフェズミの観客は8にん。見知らぬ者どうし、驚嘆をもってこのサウンドに酔った。空間の共鳴に、互いに言葉は交わさなかったが、1969年の学生運動リバイバルをふと想像してしまような、熱気を帯びた連帯感を持った。CDが終わったときの、あのなんとも言えないお店の空気の揺らぎ、8にんがCDジャケを手にしたり、飲み物を口にしたりするざわついたひとときに。
カフェズミに入ったときにかかっていたのは、「ハンマーダルシマーの21世紀審美の即興演奏てなところかな・・・」と、心地よいリレーに満ちた限定505まい生産、秋山徹次ら4にんのギタリストによる『Wooden Guitar』(Locust Music 2008)■で、おいらこの即興のありようがいまいちばん気持ちいいでありんす。真っ先に即興ありき、という態度ではない、時間は回廊的で、どこかアジア的でもある。まったり即興、と、ひとことで言えば。もちろん、音楽がそんな一言で片付けられたらたまったもんではないわけで、まあまあ、楽しいこと、美しいこと、開放されることをひとに伝えるのはいつも困難なのである、ダーリン。
(まだまだ本稿つづきを書くつもりだけど、とりあえず・・・)
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