Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年09月25日(木) |
Hirai Youichi Lennie Tristano to Gabor Szabo Too Cool Jazz Project ライブ@新宿ピット・イン |
いよいよ平井庸一のバンド、の、CDデビュー記念ライブ@新宿ピット・イン夜の部!の朝がやってきた。 おれは黒スーツに金ネクタイといういでたちで聴きに行くので、このサイトを今日お読みの方はこれも機縁だと感受しお越しくださいね。 このセクステットは芽が出たところなんだ。 オレはね、観客が演奏家を育てるって絶対あると思う。 音楽は演奏家と観客が作っている。もちろん対等ではないけど。
セクステットを名乗っているが、オレ的には平井庸一クール・ジャズ、 もとい、Hirai Youichi Lennie Tristano to Gabor Szabo Too Cool Jazz Project、と世界的には名乗らせる予定である。ゆうべオレ、アイヒャーのむすめと一緒になりアイヒャーの二代目を襲名しレイクが録音して所持しているハル・ラッセルとジョー・マネリのセッションをCD化することとかティベッツと再契約したり「This Earth!」をCD化復刻の指示を出していたので、名乗らせると書いていいのである。
今回のCDデビュー盤『レニーズ・ペニーズ』を聴いて、たしかに演奏の密度が集約的であり、サックス陣の好調を聴くだけでも買いである。 しかしなぜかピアノの都築猛、21世紀のトリスターノ、が録音に参加していない。こ、これは彼らの冷徹なる戦略なのか。 次に予定されているライブ盤で何かを提示してしまおうとするのか。
5年前にオレが書いたテキストを再掲載する。 書いたことをすっかり忘れていたが、そうだったよなー、こんな気持ちで彼らを追っかけてたよなー、と、初恋の気持ちがよみがえる。
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平井庸一の2003年5月。 こないだはエルメート・パスコアールのライブ体験をしてしまい、そのコーフン気味な力説に、さらなる変拍子スピリットの進化、その変態的な方向への危惧を感じさせていた平井庸一であるが、今月は、パット・マルティーノの系列に属する端正なギター奏者ジョニー・スミスの8枚組CDボックスなぞに耳を奪われ、と、同時に、北朝鮮のポピュラー音楽、異次元の悦楽たるワンジェサン軽音楽団やポチョンボ電子楽団にも耳を奪われる、という、とんでもないことになっている。 そんな彼が、自らのバンド『クール・ジャズ』にひゅるひゅるとオリジナル・ナンバーを書き下ろしたりしている。それに無意味にギターが上手くなってしまっていたり、制御できずに繰り出す共演者も唖然とする旋律の出現、と、ますます目が離せない状況だ。 フロント2管の橋爪亮輔が怪我で今月の公演を休むことになり、増田ひろ美がひとりでサウンドを彩ることになった。これはこれで新たな発見があるだろうと思われる。 なお、当サイト『musicircus』では平井庸一のライブ活動を追いかけてゆくことになった。「変拍子トリスターノ集」を基調にしながら(それだけでもたいへん得難いものだが)、やはり同時代的な空気感が伝わる音を、いずれしっかりと記録に残したい。観客数人のまばらな拍手、しかし50年後には語り継がれてしまう、かな。 ギタリスト平井庸一が、じつはテキトーに付けたというバンド名『平井庸一クール・ジャズ』のふてぶてしさをジャズファンは警戒しなければならない。あれは2001年の10月だったか、アウトゼア誌編集時代に末次編集長が「多田、どこにいる?…そっか。…いいから、今からすぐ新宿ピットインに来い!とにかくすぐ来い!」と呼び出されて、クレイジー・ケン・バンド初体験やマーク・ターナー初来日並みの天地がひっくりかえるような耳の事件に遭遇したのはつい昨日のようだ。「すぐ来い!」と言われる、この親密なるおとこぎ、は懐かしく、自転車乗りまわす小学生高学年のギャングエイジの味がした。その夜わたしは末次さんに「親分、この耳の借りは生涯ものでございやす。(天才・広沢寅造の口調だった)」と涙したものだったが、その衝撃は今も色褪せないでいる。 昭和を彩った日本のジャズ界の大御所たちが(名前挙げたろか?)その黎明期にこぞって世話になった(精神的にも物質的にも)という“ドクター・ジャズ”こと内田修先生(もちろん清水俊彦先生ともまぶダチである)が末次編集長に「彼らのこと、知ってる?」と耳打ちしたのが発端であった。中央線フリージャズの魔窟ライブハウスである高円寺某店マスターも彼らのライブに通っているという。現在の日本ジャズシーンのビックネームの幾人かは彼にトリスターノの譜面を譲ってもらってもいるというほとんど知られていない事実も記しておこう。わかりますかね、彼の注目され具合とか価値のアタリとかは。平井庸一、ギタリスト、33歳。わたしは平井庸一の名をジャズ批評誌で連載されていたマンガ……タイトル失念……ウニヨンやすけこまし大学生やこんどるのマスターやレコード制作会社やジャズ批評社が爆破されてしまうというアブナイ展開を描いて連載の降板を早めたという……の作者として驚いたものであるが。最近は執筆のほうでもギター雑誌にジミー・ヘンドリックスについての分析や、CDレヴューなども手がけているようだ。 彼のバンドの紹介は、こないだ私はこう書いた。 『この日本の地で「トリスターノ+変拍子」「コニッツ〜マーシュ」を旨とする甘美な探求に身を投じている若者たち、何と豪奢で悦楽的であることか、である平井庸一率いるその名もクール・ジャズ(Cool Jazz)、まさにフロント2管の橋爪亮輔と増田ひろ美は21世紀のガルバレクとマーシュである!』 え? なんでヤン・ガルバレクとウォーン・マーシュなのか。 ……橋爪亮輔はバークリーに留学した(マーク・ターナーとも知り合いらしい)俊英であり、彼が名刺代わりに制作した自主制作CD-Rリーダー作を聴かせてもらったことがあるが、これがECMの縮図のような多楽器志向な小アンサンブルを駆使したトータル・アルバムで、ガルバレク好きであることがストレートに聴けるものだったからだ。おそらく初期のガルバレクが持つ硬質で冷たいアグレッシブさへと彼は向かうだろう、その過程で彼の「声」が明確になるだろう。 ……増田ひろ美は甘美でありながら強い芯のあるサックスを聴かせる。それをマーシュにもあった「こだわり」感とも親和性が高いと直感的に断ずる。それは彼女が同じサンリオでありながら“反キティ”を標榜し徹底してケロケロケロッピにこだわるところにも表れている。これはキャラ好きのジム・ブラックや新曲でキキララとのコラボレーションを果たしたトミフェブ川瀬智子などと通ずる現代の表現者ならではの挿話である。 で、わたしはここに縁台を用意して宣誓するように力説したい。彼のバンド「クール・ジャズ」の衝撃は2ベース+1タイコの、わたしが末次編集長に呼び出された編成による、ベースが2台ちがう拍子のラインを刻み、タイコがどちらかにつねにスイッチし続け、そこで2サックスが揺れ惑い、平井のギターが刻印しつづけるサウンドこそが素晴らしい、と。キャッチフレーズはこうだ。 ここには、クールに格闘しながら、失敗も冒険も瞬時に未曾有のサウンドの沸騰状態に置かれてしまうという「発明」があると思う。 (2003年5月13日)
<追記> ついでながら、彼が率いる裏ユニット『ラテン・センチェリー』をちょこっとだけ紹介する。サックスの通称"エテ公"はカッコをつけたいだけのために極めて高額なサックスを所有する者で、まったく完全に練習をしないでスタイリッシュなスーツ姿でステージに現れる。バンドが淡々と演奏するスタンダード曲<枯葉>のサウンドに乗ってマイクに向かってポーズを決め、さあテーマに入るかと思いきや、眉間に皺を寄せたまま渋い顔のままスッと身を引く。この上なく期待が高まる演出だ。そして再度バンドの演奏に乗って、さあテーマ、……突如、追い詰められたかのように<枯葉>の旋律を思いっ切り吹くのである、音の出るタイミングはそうだ、ほんの時折正しい音がハマるがすぐに高音ノイズに逸れてしまう、まさに<枯葉>の旋律の気持ちが込もった"フリーキー・トーン"がえんえんと炸裂してしまう。渋い顔のまま顔を紅潮させたまま、これほどに旋律への希求を鮮烈に聴かせるサックスもない。音楽は技術ではなく魂であるという壮大なテーマか? と思わせる彼の格闘をよそに、バンドは淡々と後テーマに進む、まるで何事もなかったかのように、そこにサックスがいたとも思わないように進む、ジャズのタメを効かせたアドリブをさらっと各楽器が披露しながらエンディングとなる。彼とバンドの距離は物理的には数十センチなのに聴く者には果てしなく隔絶したものに映る。フリーキー・トーンを脱構築しているのかどうかは知らんが、死ぬほど笑える。 <オリーブの首飾り>では、ノイズが客演する。バンドが軽快なポール・モーリアを練習する風情の中で、中央に座ったノイズマシンが「ガー」「シュルシュル」「ピー」「キー」「ゴー」とこれまた隔絶して鳴るさまは、鼻水がたれるほど笑える。 というわけで、ギターを手にしている皆さんは、ぜひライブへお出かけください。
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