Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年03月13日(木) Point de Vue vol,2 @府中の森芸術劇場ウイーンホール




Point de Vue vol,2 府中の森芸術劇場ウイーンホールに邦人作曲家の作品を聴きに。

今月はたちの誕生日を迎える長女にどんなプレゼントがいいんだろうと相談したら「おとうちゃんが選んだ服がいいよ」などと想定外な返答があって、そんな服を選べる感覚なんててんで自信ないし、そんなすてきな返答をくれただけでわたしはうれしいのだった。府中の森公園へは彼女が子供のころによく家族で出かけた。公園にあるモニュメントをさして「めだまの公園」と呼びあっていた。夏には4さいの長女と2さいの長男が公園の池で水あそびをした。モニュメントを中心に子どもたちと写った写真があった。あの構図でまた子どもたちと写真になりたいと思う。

コンサートが終わって友人と興奮気味に感想を言いあって小金井街道を右折するときに、府中の森公園の子どもたちが水あそびをした池を暗闇に一瞬見る。

この日は三善晃の「マリンバ協奏曲」を目当てに出かけた。三善作品を奏でるアンサンブルはとても音楽を自分たちの手の中にしていて、なかなか良かった。スコアが優れているから、三善の響きをばっちり堪能できた。

鈴木輝昭の「Dialogue」がものすごく良かった。
パンフレットに「クラリネット、チェロ、ピアノという編成の背後にはベートーベンの顔があり、ブラームスの姿を感じる。豊かな伝統の延長にある現代(いま)を認識し、同時代の言葉を発信してゆく個の在り方、語法を探っている。」とあった。伝統をうけとめた上で創作するこの静かな覚悟といったものを読み取る。だけど、そんな表現こそが最もむずかしいところだと思うし、現代音楽の世界的な大家たちでさえ、自らの語法(発明)とかエキゾチズムとか古典の禁忌とか戦略とかで汲々とするわけでしょう?おおざっぱな物言いだけど。
それはさておき、「Dialogue」には耳をみはった。旋律の相互関係、古典的であり現代的である語法、演奏の緊張関係の必然、息をのんだ。これはスコアリングされているのか?と驚く瞬間が何度かあった。ときに完全即興的感覚さえおぼえた。この作曲家はすごい。
追いかけるリストに入れるとわたしは現代音楽好きの友人に宣言しました。

この日のコンサート、演奏者として優れたものを感じさせたのはクラリネットの檀野直子、ヴィオラの江副麻琴、ピアノの黒田亜樹でした。
黒田亜樹のピアノが奏でた杉山洋一「間奏曲II」は、「ほとんど瞬間的にこの作品が出来上がっていた」と作曲家が書いたのは曲の前半までであって後半はコンポジションが息切れしていたし、ピアニストにあの負荷をかける表現はわたしには凡庸な逃げに感じられた。

青梅街道を抜けて帰路を飛ばしながら、現代音楽作曲家小山薫の作品、プログレのルネッサンス「Ashes Are Burning(燃ゆる灰)」(1973)を聴く。小山薫の作品はこの世のものからはみ出るようなものだ。

今日は鈴木輝昭と小山薫という現代音楽作曲家を知ることとなったわたしとしてはエポックメイキングな一日でした。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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