Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年03月11日(火) |
読売日本交響楽団「三善晃/アン・ソワ・ロアンタン」@サントリーホール |
第469回 3月10日(月) 午後7時開演 サントリーホール(赤坂) 指揮:下野 竜也 ヴァイオリン:チョーリャン・リン ◆ 三善晃/アン・ソワ・ロアンタン 《遠き我ながらに》 〈創立20周年委嘱作品〉 ◆ バーンスタイン/セレナーデ ◆ 伊福部昭/倭太鼓とオーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク ◆ バーンスタイン/〈ウエストサイド物語〉からシンフォニックダンス
読売日本交響楽団の定期演奏会に出かける。4000えんのP席、初めて。
にしても・・・三善、伊福部、バーンスタイン、て、どういう意図のコンサートなのでしょう。 そういうふうに並ぶようなモンだとあの三善作品を読売オケは認識しているのか?と思ったが、やはりそうだった。 スコアを優等生楽団が読解しただけの演奏。
三善の「アン・ソワ・ロアンタン 《遠き我ながらに》」、弦の響きはさすがスコアのちからで、聴かせました。 だけどハープ、チェレステは可も不可もないですがピアノはがっかりな響かせ方。 三善作品でも過渡期の作品なのではないか、もしくは、もう少しだけイントロとエンディングをゆっくり振るかオケを泳がせるようなサジェスチョンがあれば、たゆたうような夢幻な感じをもっと響かせることができたのではないか。
おれにとっての三善晃は合唱+オーケストラの、いわゆる「詩篇頌詠形式」、だれも言ってないか、おれだけが言っている「詩篇頌詠形式」、 が、いわゆる三部作であり四部作でもあり。 「アン・ソワ・ロアンタン」については、思わず「あんたタケミツかい!」と突っ込みを入れたくなるような弦楽巧者ぶりを見せつけられては、そのタケミツとの明確な違いを、それは主に楽曲構造のダイナミックさの落差に、チェレステの異化、ピアノの配置、に、様子伺いをたてる。
とまれ、おいらがコンサート冒頭の「アン・ソワ・ロアンタン」に思わず口にしたのは(こころのなかでね、あくまでも。しゃべるわけないでしょ?) 「宮崎アニメのサントラに使ったらさぞかし・・・」と、『ハウルの動く城』の最も静かなシーンを思い浮かべたこと。
それはこの日のコンサートのコンセプトに合致していたのではないか。 三善、伊福部、バーンスタイン、どれも“アニメのBGM的であった”ということ。
個々に言えば、バーンスタインについては、かなり見直した。バーンスタインは聴くものではないと思っていた。だけど、このスコアリングはやはり革新的なエキゾチズムの成果だったのだ。バーンスタイン、かなりまじめでインテリなん。残酷なくらいにクールなん。ぜにもうけも。 他者を感動させるのにクールに技巧的な視点を持つ、という資質では、テレビで大衆をこばかにし続けたマユズミさんと似ている。 なんでそんなこと今日のコンサートでわかったんやろ。
で、バーンスタインの演奏は、みごとに日本人っぽかった。日本のジャズメンがバークリーから帰ってきてハードバップを演奏して日本人にだけウケている様相とほぼ同じにおいがした。
ちなみに。バーンスタインは革新だったとして、ポール・モーリアは過激なのですね、あたしの見立てとしては。
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