Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年02月22日(金) |
東京混声合唱団第214回定期演奏会、【三善晃+谷川俊太郎の世界2】 |
指揮の山田和樹。
22日。東京混声合唱団第214回定期演奏会。東京文化会館小ホール。 プログラムは【若手作曲家委嘱シリーズ2】として2曲、【三善晃+谷川俊太郎の世界2】として4曲。
プロの合唱団というわけでさすがに声の出力は違うなーと聴く。少女たちの合唱団は生命力を前に投げ出すようなすごさがあるけど、プロは出力の輪郭を明確にして差し出している落ち着きがある。おにいさんやおっさんの声の前に座ったのも影響しているかも。
だけど、合唱団がほとんど指揮者を見ていないのはおれには納得できない。楽譜と歌詞を追っかけているだけでこれだけのカタチにできるんだぜおれたちはプロだからね、と、言われたとか、そう読んだとか。指揮者の動きが合唱につながっていないようにも聴こえたけれども、つながっていればよかったかもおれにはわからない世界だけど。
どうも谷川俊太郎の詩は若い頃読んだせいか響いてこないアウェー感。 こないだの宗左近の詩による強烈なイメージがあって。おお、こんな対談が>■
三善晃の『その日−August 6−(2007)』を聴きながら、弾いたピアニストのポピュラー音楽的な明るい表現ゆえに、もっと無機質で冷徹な楔を打ち込むようなタッチに変換させて聴いているうちに聴き終わっていて、あとからこの曲がつい最近(昨年)に作曲されたものだと知って、なにか聴きのがしたような気持ちになった。このピアニストたぶんジャズも弾けるしウタゴコロでできてるいいタッチ、でもね。
森山智宏の『これが俺達の音楽だ』を、この日はすべて三善作品だという誤認によって聴いていたため、「三善先生はこのような平たい実験的な形態の作曲もした時期があったのかー」「コルトレーン、レイ・ブラウン、リロイ・ジェンキンス(!)の名が歌われる詩を作曲していた時期があったのかー!」「詩からすると70年代か?」と、おどろいて聴いてしまったあとで、新人作曲家の委嘱作品だと知って、耳の整理がつかないようなあとの祭りに。
篠田昌伸の『「Opus」による5つの断章』は、朝吹亮二の詩に惹かれるばかりに過ぎた。
山田和樹のおれなりには好感の持てる(再三言うがわたしはこれでも中学校で全校優勝を果たした指揮者の経歴があるのだ)指揮ぶりなのに、ことに男声団員は曲の始まりと終わりにくらいしか見ていないというのは、この若き指揮者は正副でいえば副ではあるし、甘いマスクでおねえさんおばさん女声団員にはもてもてなのだし、こそっと東京混声合唱団■のHPで公演日程を見れば、あぜんとするよな広大なレパートリー、全国津々浦々への旅芸人な毎日、もしかして初見合唱してる、若き日々の個々の作品への想いは奥羽山脈や阿武隈川の景色に溶けて、酒ぐせの悪いのやおねえちゃん遊びにうるさいのや新興宗教やるのやいびきがうるさいのやつきあい悪いのやホームシック、家庭崩壊、長男反抗、老人介護、有休消化、定期昇給、そうはやすやすと芸術に身を捧げさせてくれない、でもプロだものこのクオリティは歌いきったる、というのは男声のおにいさんおっさんから聴こえてもいるおいらの妄想。
-------------------------------------------------------------------------------- 森山智宏:作曲 MORIYAMA Tomohiro(1977-) : <混声合唱組曲> 「これが俺達の音楽だ」(2008年委嘱作品)−初演− I.これが俺達の音楽だ(ジョージ・レオン:詩/水崎野里子:訳) II.ラブ・ポエム(ユリ・カゲヤマ:詩/中山容:訳) III.空っぽの空間(アブラハム・ヴァーゲーズ:詩/水崎野里子:訳)
篠田昌伸:作曲 SHINODA Masanobu(1976-) 朝吹亮二:詩 : 「Opus」による5つの断章(2008年委嘱作品)−初演− -------------------------------------------------------------------------------- 三善 晃:作曲 MIYOSHI Akira(1933-)
谷川俊太郎:詩 : <混声合唱組曲> 五つの願い(1988) I.春だから II.子どもは・・・ III.願い−少女のプラカード IV.若さのイメージ V.空に小鳥がいなくなった日 <混声合唱曲集> 木とともに 人とともに(1997-2000) I.木とともに 人とともに II.空 III.生きる <混声合唱とピアノのための> やわらかいいのち(2006) <混声合唱とピアノのための> その日−August 6−(2007) (※演奏順未定)
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