Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2008年02月21日(木) |
スウェーデンで活動する若きパーカッション奏者、竹原美歌のリサイタル レビュー |
躍動する複雑なリズム、を、彼女は息せき切って演奏を進めていった。おれはこのあいだ聴いたアルゲリッチとナカリャコフとヴェデルニコフのショスタコーヴィッチCDの興奮と同じく、音と一体化していた。プログラムの最後に持ってきたリンドグレーン作曲『メタモルフォーズ I (1985/99)』は、太鼓群、ログ(丸太)、ドラムのそれぞれのリズムが力強く揺らぎ合い、トニー・ウイリアムスのように!、解説にはリズムが時に対話し時に対立しと書かれているがそんなやわではない、彼女自身が作曲者と同体となったごとくの“音楽の手に入れかた”だった。
スウェーデンで活動する若きパーカッション奏者、竹原美歌のリサイタル。北欧の現代作曲家の作品に惹かれて東京オペラシティに出かけた。
スウェーデンの作曲家シンメルードの『WO』は、マリンバ、ヴィブラフォン、コンピューターのために作曲されたもので、サンプリングされた音素材の在りようは、北欧の音響的な音づかいをするロックやジャズの分野の表現者との共通点が窺えるものだった。 2曲目、どういう作品か知らないけれども、金属楽器や竹の鳴る音、太鼓の革の音色、水から空気が立ち上る音、それらの音との戯れあい、に、(彼女が過ごしている)スウェーデンの“自然”が彼女を通じて響いているのを、わたしは明確に認識した。それは単に原始的な音のイメージから来るものではなく、彼女の演奏の音と動き(叩く、こする、耳をすます、何かを想う、何も想わない)、の中に。確かめると、この曲は武満徹がイタリアの美術家ブルーノ・ムナーリからプレゼントされた「読めない本」に想を得た作品とのこと。 ノルウェーの作曲家ヴァリンの『トゥワイン』は、ルードヴィッグ・ニルソンのマリンバと竹原のシロフォンによる、ミニマル音楽の効果を構成した曲。ニルソンのマレットさばきのほうが上手すぎてバランスがやや欠けていたように思う。 ウェールズの作曲家ミーラーの『シャドウ・アンド・シルエット』。マリンバの響きをこれ以上なく引き出したものはない、というとおりの、5オクターブマリンバによる竹原の演奏、テクニカルに走らずロマンチックにも堕しない誠実な演奏ぶりは素晴らしいもので、感動した。 バッハのリュート組曲をマリンバで演奏した後半1曲目。竹原は武満徹のギター作品をマリンバで演奏する中で、撥弦楽器とマリンバの相性の良さに気づいたという。 スウェーデンの作曲家イェスパー・ノルディンの『ロウ・インパクト』。アンナ・ペトリーニのコントラバス・リコーダー、背丈ほどもある床に置いて吹くリコーダー、初めて見て初めて聴くが、打楽器の竹原の演奏と、さらにエレクトロニクスが音を増幅するという実験色の強い作品。音の耳新しさを追いかけているうちに演奏は終わってしまった。 そしてプログラムはリンドグレーン作曲『メタモルフォーズ I (1985/99)』に至った。
竹原美歌のプロフィール、サイトウ・キネン・フェスティバル松本で来日もした小澤征爾の秘蔵っ子、でもいいけど、「スウェーデン王国から4年に一度演奏家一人だけに与えられるインゲマンソンプライスを受賞」、こっちのほうがすごくないのか?
この日のプログラムは、ほんとうに多彩で楽しいものだった。特筆すべきは武満作品とミーラー作品、リンドグレーン作品で聴くことのできた竹原のピュアな演奏の輝かしさだった。透明で芯の通ったその演奏には、・・・彼女の個性という物言いはクラシックではマイナスなのか?、そこにはコンポジションの由来や表現力、北欧の空気のようなもの、が、不可分に存在すると思うが、聴く者をまでを透明にするちからがあると思う。今年PhonoSueciaレーベルよりブリッタ・ビーストローム作曲の打楽器コンチェルト《The Boran in The Trees》のCDが発売される予定とのこと。
彼女がアンコールでマリンバ演奏したのはケージの『ドリーム』。ここだけは北欧のイメージではなく竹田の子守唄のように聴こえた。なぜだかわからないが胸が熱くなるものがあった。
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