Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2007年09月30日(日) |
新宿ピットイン、ノルディック・ヒート2007 |
今日聴いたCD。
フェレンク・ネメス。聴くほどに、いい。これ聴いていると、『ユニバーサル・シンコペーション』や『ネイバフッド』の支持のされ方が腑に落ちるようになった。そのリズム、に。この盤のほうが根本的に演奏に生命力がある。格は下かもしれんけど、やはり。
オールド・アンド・ニュー・ドリームス。ECMが79年に問うてみたオーネットリスペクトバンドとも言うべき提出。砂上の楼閣に過ぎない、と、小野好恵は書いていた記憶がある。ひさしぶりに聴いたけど、なるほど、こげなオーネットの譜面化ともいうべき作業には、今となっては制作者アイヒャーの不遜な帝国意識が感じられる。しかし、彼らの演奏が語るドイツロマン主義化した望郷の演奏意識、は、オレなりには胸をうつ。終わった学園祭の風景にあって、キャンプファイヤーをたいてみているのだ。比較されるべきは、大友良英ONJQライブ、の、歴史的勝利だろう。
リュック・フェラーリ Luc Ferrari。プログレロックじゃね?と切り捨てようとするが、おれが見ているこの風景、光景を成り立たせている、大切なおれの記憶とか、情緒を持つ根拠、とか、日常の知覚を構造化する脳の機能を壊してしまうような恐怖を感じる。この山の緑も、排気ガスも、練馬区の地下のマグマも、そこを歩いている保育園児の記憶も、おれの赤い自転車の塗料も、粒子に過ぎない、と、言い募っている音楽。そんな音楽ってアリなのか?だから怖いんだよ。
ブーレーズ・プレイス・ヴァレーズ。 いやー、ファラーリのあとに聴くと安心するなー。早川SF文庫の、過去に書かれた未来についてのストーリーを読む、安堵感がある。あとに生まれた世代というのは、たとえばブーレーズやヴァレーズに対するわたし、は、すごく優越しているものなのかもしれない。それはどういうことかというと、おれの息子がミスチルをコンプリートで聴いた経験は、たとえば、彼はもうビートルズとかを聴かなくても困らないんだよね。ピカソやマイルスを知らなくても新しい世代が平気なのは、もうそれらは日常のどこかに潜んでしまって精神を刺激しているから、と、省略できるというか。
きのう長女とドライブして、ミスチルを何ヶ月ぶりかに聴いてみた。「あんまり憶えてないんだ」と、いろいろ人生を彩った記憶に感謝するというか、銭湯の待合室で首相が変わったとかミャンマーの軍事政権とか大相撲の優勝とか他愛のないことを話している時間のあたたかい輝きに、おれにとって音楽なんて囲碁将棋の趣味に興じるじいさんとそんなに変わんないんさね、コンビニにジュース買いに行こう。
いやー、これは、必見でしょう。 新宿ピットイン、ノルディック・ヒート2007。■ マッツ・グスタフソン、インゲブリクト・ホーケル・フラーテン、ポール・ニルセン・ラヴのセットが観たいぞ。
つい。おざけんを見てしまう。ほとんど歌う詩人。王子様後期の彼の高みは、振り返らない美しさを示していた。東大文学部卒。 ■ ■
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