Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年11月07日(火)



夕刻になって米を買いにスーパーに出て、4F駐車場で大きなお月様に見つかってしまう。
「今日は、体調不良で仕事を休んでまして。」 午前中に診てもらった医者に、「PL顆粒は効きますね」と言うと、「今日はPL顆粒よりも効く抗生物質ジスロマチックを出しますよん」と。帰って2時間ほど眠る。
図書館へ出向いてガムラン音楽を2枚借りてきた。中華屋で青椒肉絲(チンジャオロース)定食を昼食として、また帰って2時間ほど眠る。

ゆうべはブーレーズ指揮のブルックナー8番と、木村かをりさんの『ピアノと鳥とメシアンと』を聴いていました。
ブーレーズの醒めた視線でのこの音場感の拡がり具合は・・・、解説読むと教会で録音されたとか。教会録音といえばここ十年のECMレーベルの耳の構えを連想す。耳と言う魂が、どこで聴きたいのか。魂のこもった演奏・音楽という意味とは違う。最近のモードなのかい?
メシアンはこれを誉めたのか。メシアンがフランスに居て、遠くの極東の島国から愛弟子の演奏でこれが聴こえてきたら、間違いなく魂は震えると思う。「鳥の目覚め」は良いと思うのだけど、「異国の鳥たち」はあまり・・・。

内田樹さんのブログに、
「人間社会の起源には非文化から文化に「テイクオフ」する瞬間の劇的な快感が存在する。
文化とはこの浮遊するような快感をもう一度味わいたいと願った人々が反復した行為が集団的に模倣され、やがて制度化したものである。」
という文章がある。
わたしがいまこのガムラン音楽に強烈に魅せられているのは、すでにテイクオフされた結晶としてのガムラン音楽に、制度化されたテイクオフを2006年日本在住の45さいが反復体験しているということなのか。

わたしが20さいの時の耳の経験値で感ずることがあったガムラン音楽と、
わたしが45さいの今の耳の経験値で感ずるところのガムラン音楽とは、ぜんぜん違うんです。でも、同じなの。

うーん。ぼくは『ラーゴ』にはバッドプラスみたいなバンド(estをふくむ)にダメだしする以上の意味を観ていましたけど。立ち止まっているようなご様子であるときいて心配申し上げます、メルドー様。

ミスチルの新曲「しるし」のサビ「ダーリン〜ダ〜リン♪」 が桑田佳祐「TUNAMI」の「見つめ合うと〜♪」のメロディだとは、あはは、言われてみれば似てるー。「しるし」は、ハレルヤとかエスとか、なんかに似てる箇所があって、いまいち、って気がしてます。
前作「箒星」がすごすぎたし。
「しるし」の主題はある程度持続した夫婦の愛のかたちであると、未婚の女性に確信を持って言われましたが、明らかな正解でしょう。だから何なんだ、って気がしますね。そんなもん歌の機能じゃないでしょう。

午前0時のお月様は天空の頂上にあがっていました。
群馬の子どもたちや、品川のむすめを、照らして光っています。

ちょっと寒いのでジミヘンのエレクトリックレディランドをイヤホンで聴きながら寝ます。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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