Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
マヌ・カッチェの『ネイバフッド』を、そいえば、と、思い、最澄、空海、・・・もとい、再聴せり。 うおおお。映画音楽のCDだという前提で聴くと、・・・なかなか良いではないか。かなり、良いではないか。
ベストテイクの継ぎ接ぎ録音にはジャズは宿っていなかった、と判断した昨日の自分もまたやはり変化しないところなのですが。
「ECMはそもそもジャズとは言えなくて、器楽演奏的なんです、ヨーロッパ精神であり、クラシックであり、理性が制御する優越誇示なんです」などと、苦しい言い訳をジャズファンに向かって言い続けてきたわたしなので、2005年になって「こんなのジャズじゃないやい!」と言い出したのはどうかと思いますが、やはりそれはそれで断じて言わなければならないのです。
ロヴァ耳日記で書いているのは、風呂の中の屁に過ぎません。
『メセニー・メルドー』の最後の曲はメセニーのコンポジション。このトラック、お互いのどういう了解で録音し始めたのか。メセニーの底意地の悪さに吐き気がする。こんな演奏するんなら、ソロで演ればいいだろ、メセニー。おまえ、だめだ。このCD、自然な流れの1曲目だけ、でした。 メセニーのCDも、売るか、と、思い、『ザ・ウェイ・アップ』を最澄。これも1曲目だけが記憶に残るだけです。・・・なに、この国内盤はボーナスとして4分長いパートが含まれている、という。意味がない。 やばい、ECMの恥部、『想い出のサン・ロレンツォ』を20数年ぶりに耳にしてしまう。
『ファースト・サークル』、『シークレット・ストーリー』、『カルテット』以外は歴史に残したくないぞ。
メセニーのCD群のとなりにアイラーのCDが並んでいるのは、どういうわたしの趣味だったのだ。 耳の渇望に『スピルチュアル・ユニティ』に手が伸びる。 ・・・ふおおお。全身マッサージを受けながら温泉にどっぷりつかるような癒しの真のフリー・ジャズ。 清水俊彦せんせいがライナーを執筆している。 このCDに収められている「スピリッツII」というテイク(この曲は「スピリッツ」ではないのだが)は、初期にごく少数プレスされた盤にしか収録されていない、レアな代物である。 清水せんせいはこのCDのライナーを執筆した93年に、「ぼくの知る限り、どの文献・記事においても全く言及されていない」とし、これに気付き指摘したのは2種類のアルバムを所有している佐藤満夫氏であることを付記されている。
佐藤さんはぼくのフリージャズの先生とも言うべき方で、ブロイカーもシュリッペンバッハもベイリーも英国フリーの重要作品はすべて佐藤さんちのステレオで体得した。聴いた作品は復習のためにすべてカセットにして持たせてくれた。『Chine』(87年録音)を入手してスクラヴィスの才能に驚嘆したのは二人とも同時だったような気がする。
・・・メセニーのCDは全部売ってしまおう。
アイラーのとなりにあったのは、 イヴァ・ビトヴァの『44 Duets for Two violins by B. Bartok』(Rachot Behemot 1997 R0011) >試聴できるようです■。 これは演奏している意識が良ろしいというか。バルトークが楽譜に残したものが、巫女の声や弦の運びを通じてよみがえるような作品。 だけど、バルトークの意図した枠組み、の、時代性、とは、あまりにも離れている表現なので、2006年に聴くと、ちょっと痛い。97年の彼女らが痛い。 これもブックオフだな。
▼ フールズメイト誌の初代編集長だった北村昌士さんが亡くなっていたことを知りました。>■
▼ くるりの「オールドタイマー」「さよならストレンジャー」を聴く。
街は毎日が新しい。長女の部活費用その他、聴いてからCDを売ることにしよう。
|