Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年10月13日(金) |
『メセニー・メルドー』を聴く |
『メセニー・メルドー』を聴く。 メルドーがメセニーに影響を受けていたという視点で、メルドーの表現を聴いたことはなかったかな。 メルドーのピアノが持つクラシックの影響、それはもうほんとうに手くせの一部になるほどたくさん練習してきたのだな、と、思わせる。これを聴き手が、クラシックの断片に分解して聴いてしまっているというのもわかりやす過ぎて、よくわからない。 メルドーのピアノが醸す不穏な才気、というものは、わたしのように殺気とか気配とか武道家が見抜く気の色彩にさらされる仕事の人間には自明なものがあるのだけど。
メルドーのメセニー初体験が『トラベルズ』収録の「ついておいで」だったという。 かわいいー。 というか、正しい。まったく正しい。当時のジャズに限らずロックも含めたすべての新譜でこのライブヴァージョンの登場ほど、LP屋の雨漏りのしみあとが残る天井に夢を見せた音楽はなかった。 ぼくは大学の図書館で、閉館を知らせる放送のBGMがこの音源だったことに、見知らぬ選曲者に世界に向けて発音する自信の気持ちを送った。
『ザ・ウエイ・アップ』という最新作で、かなり次元の高い音楽に到達しているメセニーなのだけど、こういう録音もいいですねえー。なんにも新しいことは起こっていないし、起こらないこともお互いにわかっているし、ふたりの共演がどんなすてきな音楽になるのか最初からわかっているので、音楽に演奏させている、という、そういう演奏。
そうですね、音楽に演奏させられる、という次元のミュージシャンはあまりいないかもしれません。
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