Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2006年07月28日(金) |
「伝えなくちゃいけないだろう?何よりも先に。燃えてゆくあの空が夜に消えて行く前に。」(綺麗な首飾り) |
アンナー・ビルスマとケラー弦楽四重奏団の『J.S.バッハとクルタークの室内楽曲集』、これほしー!■
平和台駅前ダイクマのポイントカード。行くだけで来店ポイント100円。4回まで来店ポイントが獲得できて、1000円以上買い物をすると、また4回の来店ポイント獲得権が復活する。つまり、1000円以上の買い物は実質400円引きになる。毎日通勤の途中に来店して、4日に1回1000円以上の買い物をするのだ。
報道ステーションの特集 『日系ドミニカ移民の悲劇 祖国に裏切られた50年』■ こんな話があったのですねえ・・・。で、ドミニカ共和国って、どこにあるのー?あ、キューバの隣なのか。へええ。
そいえば。 92年に国際モーリス・ラヴェル賞に輝いたフランスの作曲家ベッツィー・ジョラスBetsey Jolas (1926 -) のCD、どこかにないですか?
1993年のブランキー。最高傑作アルバム『Metal Moon』で、浅井健一が歌ったとき。 「夕焼けの色が本当の世界の色だとしたら、すべての小さな子どもたちに、今すぐそのことを。 伝えなくちゃいけないだろう?何よりも先に。燃えてゆくあの空が夜に消えて行く前に。」(綺麗な首飾り)
90年代のJポップ。フリッパーズ、ブランキー、町田町蔵、スピッツ、ミスチル・・・、の、創作。
80年代後半にジョンゾーンやヘンリースレッギル、ペルト、シュニトケ、グバイドゥーリナあたりを世界音楽の最先端と妄想認知していたリスナーとしてのわたしは、たじろいだ。 95年だったか、ジョー・マネリとブノワ・デルベックの発見、そしてECM『the sea』を耳にしたことから、 「今すぐこのことを伝えなくちゃいけないだろう、何よりも先に。」という気持ちになったのだった。
それはまさに『LIFE』小沢健二、のような、スタートダッシュだったのだ。
「誰がこんなにしちゃったのかは知らないけれど、とにかく私は何のはずみか、たまたま現場に居合わせてしまった。居合わせた以上は、私がなんとかするしかない」と考える人たち(たとえ少数でも)を糾合して、とにかく手持ちの使える限りのリソースを動員して、できるかぎりのことをするしかない。」■ と、内田樹さんは書いている。
ぼくは手持ちのリソースで編集CDRを作ることをするしかない。 で、それが何の意味があるのだ?・・・わからなくてもいいや。
編集CDR『ほうきぼし 恋もキスもセクシーも少しまってきみとぼくはそしてDOWNDOWNDOWNそう思うだろう?』CD1
01. 天国と白いピエロ / EGO-WRAPPIN' (2006) >エゴラッピンはピンときたことがない。ジャズにつながっているとも思わない。音楽創作の基本能力が非常に安定した感じが、不安にさせたりスリルを感じさせたりしない。でも、この曲の完成度!仕上げの目配りに、そんなわたしの嗜好を塗り潰すちからを感じた。
02. 箒星 / Mr. Children (2006) >環境設定の動線に従ってプログラムされていてもいいじゃないか、こうして体を動かしている快感。「でもねぼくらは未来の担い手 ひとのかたちしたひかり」、でもね、と、いう3文字が救いのない現実に強制リセットをかける。「箒星」はミスチルにとってのフリッパーズ・トリビュートである。DVDの主人公たちの身動きを見ると、これは「カメラ!カメラ!カメラ!」のミスチル版だ。歌詞の、大風呂敷で盗みに行く、という構図は、盗賊となるフリッパーズ「恋とマシンガン」にリンクする。フリッパーズ・ギターの登場でバンド活動に危機感を抱いた桜井くんが、渚ゆう子の「京都慕情」で旋律と叙情の優位を確信して研鑽し始める推進力を得たわけだけど、そういう感謝のオマージュをぼくは感じる。また、ミスチル史の主題変遷としては「旅人」を想起させるところがあり、こっちは“ふたり”になったんだねー。
03. Groove Tube / The Flippers Guitar (1991) >CDRのサブテーマ(笑)「恋もキスもセクシーも少しまってきみとぼくはそしてDOWNDOWNDOWNそう思うだろう?」はこの曲の歌詞です。「グルチュ」とファンから呼称されるこの「グルーヴ・チューブ」、震える管、つうか、「さあ、グルーヴ・チューブを!」と彼女にねだるわけ。意味わかるよね。て、おれ、今回わかった。それでも、「少しまってきみとぼくは」と言うんだよね。言いたいんだよね。
04. 虹をわたって / 天地真理 (1972) >「きれいな虹のことだけ言えば、わたしの想い、伝わるかしら」。うおおお、おれならわかるぞ、真理ちゃん!深いぞ。天地真理は初期アイドルとしては日本青少年に対して母親の原像である。麻丘めぐみは、西洋人形・メルヘンだな。アグネス・チャンは幼児プレイ・おむつごっこだな。南沙織はシンシアだな。どれもこれもエロくもなく、女性の匂いもしないではないか。日本歌謡史におけるアイドルの出現は、すべて畸形から始まっていたのか。Hitomiが登場するまで日本人はあと20年待たなければならなかったのである。
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