Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
2006年05月29日(月) |
フランスとドイツの感覚のみぞ。高橋悠治が指摘した、フランスの脆弱。 |
オーケストラ・コンサート「武満徹の宇宙」@東京オペラシティ・コンサートホールで、3作品 「カシオペア Cassiopeia(1971) 〜独奏打楽器とオーケストラのための」 「アステリズム Asterism(1968)〜ピアノとオーケストラのための」 「ジェモー Gémeaux(1971-86)〜オーボエ、トロンボーン、2つのオーケストラと2人の指揮者のための」 を聴く。 開演前に「アステリズム」の楽譜を見せてもらっていたもので、クライマックスのクレッシェンドを明確に聴くことができた。 しびれた。武満徹の、極限の響き。 これがまた美しい楽譜だったわけだけど、パンフレットに掲載されていた「ジェモー」のタケミツ直筆の楽譜のほうも、古代文書のような太古の化石のような美しさ。 現代音楽は、楽譜やコンセプトや仕組みを理解する行為、と、音そのもの、に、よって形成されている。と、思う。 ジャズと即興と現代音楽の先鋭的な、と、思われている領域は、そうである。ぼくは、そうは能力的に聴けない、のでは、ある。 楽譜の夢、が、鳴っている、ように、思う。夢、というよりも、ヴィジョン、か。 それにしても。 パンフレットに掲載された作曲家・権代敦彦と高橋悠治の対談。 フランス。オーケストラ。タケミツ・トーン。武満徹の孤独。 「ジェモー」の終わりの短い持続音の、形式に寄り添うトーンに、その孤独の痛み、諦め、を聴く。 高橋悠治のことば、「友だちだからね」。 若き日の武満徹と高橋悠治が、黛敏郎によるおたまじゃくしを楽譜に見せる水槽を覗き込んでいる写真。 ぼくも、その日の夢をみることができる。 「アステリズム」の前半に、オーケストラの中に武満の顔が3メートルぐらいの大きさで。ぼくの眼に映った、のは、気のせいに思ってくれていいのだけど、いつもそういうことは不意にやってきて。
聴く者は、勇気をもって、この夢みたかたちを、未来に投影して、生きて、ゆく、ことは・・・。できる、できない。
フランスとドイツの感覚のみぞ。高橋悠治が指摘した、フランスの脆弱。
スプーのえかきうた■ おにいさん絶句、なおかつ失笑、収録しなおし、しないNHKの懐の深さ!それにしても・・・、おねえさん、さいこー!・・・ ヤフーオークションにフィギュアにまでなってる>■ 14まん6せんえん・・・
|