Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年12月05日(月) |
スブラクシュミ、聴きたいー |
今朝は寒かったですね。車のフロントガラスが真っ白に。風呂桶のお湯をかけて早朝出勤。Quruliの『NIKKI』で川越街道。 今日は紅ずわい蟹の缶詰を買ったのでたまご4玉焼き乗せごはんにするぞ。
栃木女児殺害の犯人はまだ捕まっていない。 この6月から出所者居住地情報の運用がなされているが、再犯性の高い性的犯罪は服役すればお終いというのは不備であることは明白で、再犯1回目ではキンタマを1個取るとかしといてもらわないと税金の払い甲斐がない。せめて犯罪者には発信チップを埋め込めてください。もっとセキュリティの高い生活を。高性能監視カメラ網を公共事業化して監視国家しろ。せっかく背番号を付けたのなら銀行郵貯残高を網羅して脱税を根絶しろ。企業内部監査を徹底して、労働基準監督を強化しろ。公務員の海外視察にオンブズマンを同行させろ。おんぶして同行させろ。
小泉内閣が断行する政策でもっとも寒い目に遭わされる層が圧倒的に小泉内閣を支持していたり、監視国家を望んでいたり。 階層化とその断絶はすでに実体化しており、あと、ぼくたちは支配者層の「いたわり」のビヘイビアを心より待っています。
このようにして、順調に小泉ジャパンのファシズム化は進んでいることを佐藤優さんは『一冊の本』(朝日新聞社)連載「ラスプーチンかく語りき」で。ふうん、なるほどね。・・・おれはそれでいいよ。
明日は恒例の大江戸温泉物語オフ会。
ヤン・ガルバレクの音楽性とインド音楽との親和性についての探求は20ねん以上放置したままです。 うおお。スブラクシュミ、聴きたいー。
(以下、コピペ) M・S・スブラクシュミの『ライブ・アット・カーネギーホール』 M・S・スブラクシュミはインド亜大陸の南端に位置する都市マドゥライで1916年に生まれました。1940年代から歌手として活躍をはじめ、以後半世紀以上の間現役の歌手として活躍。なんとインドの初代大統領ネルーやジミ・ヘンドリックスも彼女の歌を敬愛したといいます。 ご存知のようにインドの古典音楽はデカン高原を境に北インドのヒンドゥスターニー音楽と南インドのカルナータカ音楽に分かれています。元々インド亜大陸に存在していた音楽は現在のように分かれていませんでしたが、13世紀頃イスラム教に征服された北インド側は音楽的にもイスラムの影響を受けたのに対し、南インド側は元来のドラヴィタ文化の土着的な信仰に基づく音楽がその後も継続されていったため、音楽性に違いができたとされています。そしてスブラクシュミが歌うのはもちろん南のカルナータカ音楽。緊張感のあるヒンドゥスターニー音楽とは対照的な、緩やかな時間の流れが感じられる音楽性がその特徴です。 本作は1977年にニューヨークのカーネギー・ホールで行われた歴史的ライヴを収めた2枚組で、15世紀の作曲家アンナマイヤや19世紀のカルナーティック三楽聖の曲など、南インドの人々なら誰でも知っている古典曲を中心に、軽やかかつ深慮なスブラクシュミの歌声が全編に渡って楽しめます。
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