Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年06月09日(水) |
「PADDLE」と「風〜The wind knows how I feel〜」・つねに変わり続ける同じもの・内面と遅延 |
書いている日付けとズレてる。まいか。 熱帯雨林的梅雨へと長期的には向かっているのでしょうか。元気のないひとは美味しいたまごごはん(ちびとだけ日本酒が吉)を食べましょう。
さあ、いよいよ土曜日は「Mr.Children Tour 2004“シフクノオト”」の初日!@横浜アリーナ、である。 彼らにとって、おととしの暮れに一夜だけ行われた「wonederful world on DEC 21」、以来の最初のライブ!、である。 (わたしにとって、横浜アリーナはブランキーのラストギグ以来、ミスチルのライブはずいぶん前の西武球場以来、である。)
桜井くんがインタビューで語っていたのは、ニューヨークで観たプリテンダーズのライブに対し、「ドント・ゲット・ミー・ロング」というヒット曲をセットリストの中で彼らは普通に気負いなく演奏していて、そこにカッコ良さを見た、ということだった。 →桜井くんはプリテンダーズが好きなのか!われ思う、「Talk Of The Town」をミスチル・ヴァージョンで聴いてみたいぞ。
「PADDLE」の冒頭には「風。風。風。」と3回、それぞれに異なった情感を込めて歌われているよね。そこ、すごくいいと感じた。 “風”というアイテムは、桜井ワールドにあって、なにげに重要やね。 あえて風をもってくる桜井のいま。つねに変わり続ける同じもの。それはまたジャズの定義とも同一なものだ。 そんでわし、今度のライブでファーストアルバムの「風〜The wind knows how I feel〜」を演奏するといいなあ、と、妄想しておりまんねん。 (ミスチルの公式サイトでのこの曲の表記が誤植したままなんだけど、だれか指摘してあげてね)
今年の「PADDLE」の“風”と、デビュー盤での“風”をつなげて歌ったら、桜井くんが表現してきたいくつもの風がひとつになるような。
・・・ちょっと、この一行、太ゴチえむひゃくわいひゃくで52Qにしてくんない? ・・・焼き物でできたはいざらに刻まれた”風”をえいえんにぼくはおもうだろう。
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つねに変わり続ける同じもの。終戦直後のラブソング、津軽海峡冬景色、見上げてごらん夜の星を。 ミスチルファンは演歌をばかにしてはいけないよ。表現のおおくの部分は蓄積されて背景となっている歴史からいただいたものがたくさん。 同じ演奏ばかり聴いてしまって新しい演奏を聴くときにどんどん不自由になってしまうじぶんに気付くこと。ジャズについて、じぶん。
柄谷行人と福田和也の新潮社主催の対談で、柄谷は、人間の内面というものは遅延することで生まれてくる、と、話していた。 村上春樹が内面の無い小説家であること(!)。デジタルメディアによって、遅延が機能しなくなってきていること。
内田樹せんせいが今日のブログ(6月9日■)で『「オタク」と司法』というお題で、いつもながらのスルドさをみせる。 > 「おのれ自身を位置づける歴史的文脈」に反応する知的アンテナそのものが「オタク」の諸君にはほとんど構造的に欠落している。 わたしは、知識およびCDおよび下半身の管理のずさんさをかんがみるに、オタクですらない、あこがれのオタクになれない未熟者、である。
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ECMレーベルというのは、上部概念におけるフォークロアを音楽の向こうに漂わせることを提起したレーベルだった。
フォークロア、と、遅延、と、内面。
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