Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
DiaryINDEX|past|will
2004年03月28日(日) |
武満徹:遠い呼び声の彼方へ!・ピンクのモーツァルト・司馬遼太郎『空海の風景』・『慕情/菅野邦彦(1974)』(TBM) |
デュトワ+N響、諏訪内晶子の「武満徹:遠い呼び声の彼方へ!Far calls. Coming, far! (1980)」を聴く。 タイトルを知らぬまま朦朧としながら聴いていた。 ・・・日本人が「一陣の無常の風が吹いた」と形容するときのその“風”が聴こえた。・・・ ただし確証がないというか、そのような“聴こえ”はたいした意味も持たないことははなはだしく。 (じゃあ、いつもは確信があるのかと問われれば、なんとも、かなりありますと、いちお、こたえますー)
▼ 3枚100円シングルCDコーナーで数合わせで手にした「ピンクのモーツァルト/松田聖子(1984)」、駄曲だと思っていたんだけどー。 「ピンクのモーツァルト」のあと「ねえ、感じてる?」「ねえ、もうじきね」と執拗にかすれ声の松田聖子、に、かなりドキドキする。 「潮辛いのキッスをしたでしょ、濡れた砂に横たわった満ち潮のとき」の驚くべき喚起力、したのくちびるとあなたのくちびる、濡れた、満ち潮、「したでしょ」との語感。いたずらをせめるのか、そのときの感興か、つづきをなげかけているのか、宙に浮かせる、この声。
▼ 『Love Comes Shining Over The Mountain / V. A. (1999) (Rune Grammofon; RCD 2012)』 ほんの少し前のCD。ノルウェー・シーンの活況をそのままコンパイルした観のあるルーン・グラモフォン・レーベル(配給はECM)のコンピ。 すでに懐かしい。流行は非情なりや。
▼ 司馬遼太郎の『空海の風景』上下巻を読了。 バロック、ロマン派、現代音楽、歌謡曲、モダンジャズ、プログレを収めた奈良六宗。モダンジャズ〜チャーリー・パーカーを収めた最澄。欧州即興から民族音楽のコアに進んだ空海。「CD聴いたくらいじゃわかんねーつうの」と、空海は最澄を罵倒する。 読んでいるあいだじゅう、なぜにかトーキング・ヘッズの「Once in a lifetime」の冒頭に鳴る循環電子サウンドが鳴るものであった。
▼ 「ただどの、こないだ拙宅より持っていったハットロジーのトラピストは聴きましたかの?小沢のマーラー9番、トリスターノ、ポチョンボ電子楽団(北朝鮮国営楽団である)、高田渡のファースト、クレイジーケンバンドのベストのほうはいかがだったかの?」 「すいません、まだです。」 「なにをもたもたしておるのじゃ。いったい何を聴いておるのじゃ。」 「いまだジョンテイラーのロスリン、トマシュスタンコのサスペンディッドナイト、など、を…。ECM、いまだあなどれず。」 「うそをつけい。」 「もうしわけございません。ぼあ(Boa)ちゃんのベストとひとみ(hitomi)のベストとはまあゆ(浜崎あゆみ)のベストも聴いていました。」 「ううむ、わしにも聴かせろ。もとい、おぬしジョンテイラーのロスリンを聴いて、どの曲が核心じゃ。」 「4曲目です。ミニマル効果による、久々のECMの、アノ、時が止まったような夢幻のまどろみ、です。」 「ふむ。よかろう。」 「師匠はいま何を聴いておられるのですか。」 「UAの『SUN』と『うたううあ』じゃ。」 「昨年のUAのライブ『空の小屋』2CDも良かったですもんね。」 「お、それも聴かせろ。明後日の午後1時に寺に参れ。くるりの『アンテナ』もそちに授けよう。」
▼ わたしはいまだ修行の身である。山林を駆け巡り、雑密の宇宙に彷徨う存在に過ぎぬ。老いて寒山拾得とならんと欲す。 このたび師匠より、念願の『慕情/菅野邦彦(1974)』(TBM)を聴かせていただいた。 30年前の菅野邦彦だ。 タッチはしこたま強く。旋律とタイム感覚の“逸脱”において、瞬間ごとに網の目のように、野心いっぱいに企てており、嫌味なほどに落差を演出している。とにかく1曲目「慕情」を聴いてみてほしい。 1974年というとキース・ジャレットとポール・ブレイがジャズ・ピアノを席巻する時期だ。 驚くことに同時代的にこの二人をはるか上方よりせせら笑っていた日本人がいた。 菅野の演奏が物語っている。菅野のピアノの気質はラテンである。 クラシックの流儀にはフランスとドイツの二大潮流がある。近代以降、ドイツがドイツ人を主軸にした西洋音楽史観を確立させた。日本はドイツからその西洋音楽を導入した。東京藝術大学はドイツ流儀のものになった。 ラテンは明らかにフランス流儀に一部にその痕跡がある。 一方で、イタリアの豊饒な歌曲から派生するパッションは存在の普遍なままに持続し、半ば独仏の抑圧装置でありつつ無視された。 菅野はブラジルに渡りいつしか円盤を追いかけて過ごすようであり、いわばシーンから失踪してしまった。 帰国した菅野は全身が旋律そのものになったものか、銀座のバーでピアノを奏でて生活をしている。 そこには単なる達観を超えた態度がある。 1974年の『慕情』は現在の菅野につながっている。
▼ 「おとーちゃん、さー、おとーちゃんが尊敬するひとってだれなん?」 「じぶん。」 「しねっ!(怒)、まじめにこたえてよー。」 「じゃあ、空海。」 「だれそれ。たしか坊さんだよねー。真言宗だっけ、天台宗だっけ。」 「おまえはだれなの?」 「わたしはねー、獏良(ばくら)さま。こないだは獏良さまの誕生日だったから、わたしケーキ作って祝ったんだよー。」 「あのなー。高校生にもなってアニメの脇キャラかよー。」 「おとーちゃんの子だもー。」 「おまえさー、マンガのホンモノをわかってんのかー?」 「それは手塚治虫だよん。」 「おー、わかってんじゃん。」 「おとーちゃんの子だもー。」 「どこがだよー。おっぱいさわっちまうぞこらー。」
|