Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年03月25日(木) |
シリーズ三善晃の世界 第2回―響きの世界―・毎日ミスチル(ロッキンオンジャパン4月号桜井和寿インタビュー) |
東京オペラシティへ、“シリーズ三善晃の世界 第2回―響きの世界―”を聴きに出かけた。 沼尻竜典指揮、東京フィルハーモニー交響楽団。
「この世のものとは思えない、幽玄であり妖しくもはかない響き、というものがあるものだ…。」 そう書きながら、なんと表現の語彙がないものかと恥じるけども。最初の曲、わずか8分ほどの出来事だったらしい、オーケストラが紡ぐ響きが、オーケストラの上空2メートルから3メートルあたりにふらふらと揺れるもの、それはオーケストラの占める面積のひとまわり小さいほどの“響きのかたまり”としか言えないものが浮かび、まさに光を放っていた。いや、光を放つという言い方は適切ではない。生命体のようでもある。 座席にいながらして、ホールの中空からオーケストラを見下ろしているようにして、それを感じることができた。 楽曲の中に物理的に大きな音は構成されていたはずだけど、その構成を包んでそれはそこに居続けた。 1曲目の『夏の散乱』はすごいものだ。録音されていたようだからいずれCDとなって聴くことが出来るだろう。きちんとしたオーディオで聴いたなら。
まーそのー、一笑に付してくださいまし。2001年6月に庄司紗矢香のヴァイオリン(パガニーニ作曲<イ・バルビディ>)にも陽炎みたいのは見ているので慣れっこではある、というか。
今日のプログラムである三善晃作品は次のとおり。
・ 夏の散乱:現(うつつ)よ 明るいわたしの墓よ(宗左近) (1995) ・ オーケストラのための『レオス』 (1976) ・ 魁響の譜(かいきょうのふ) (1991) ・ 児童合唱とオーケストラのための『響紋』 (1984)
ハイライトは『響紋』。この曲はCDで聴いたことがあるが、これにもまったく驚く体験をさせてもらった。オーケストラの後方に40名ほどのガキどもが並んでおり、座席より(この得難い機会に下手やったらころすぞおまえら!)くらいは思ったが。「かーごめかごめ」という合唱の声が、オーケストラの後方から聴こえていたと思いきや、2度、もしくは3度、オーケストラの“中から”聴こえてくる瞬間を体験するのである。 『響紋』の後半のテンポをあとわずかに落としてくれると心情叙情派リスナーのわたしとしては嬉しかったような気もするが、そこはそれ、指揮の沼尻さんは三善先生の弟子であるからにして、あのテンポによるはかなさ、とどまりがたさの定置を受け入れるべきなのでしょう。
▼ 10月14日にこの“三善晃の世界シリーズ第3回―言葉の世界―”があります。 三善晃の声とオーケストラのための三部作『響紋』『詩篇』『レクイエム』のうち、『レクイエム』が聴けます。
三善晃さん本人がステージに上がりました。以前に三善晃さんをこんなふうに眼差した記憶があるから、コンサートで何かは聴いていたと思います。うーん、記憶力が弱いというか。サントリー・ホールが出来たときに現代音楽の委嘱シリーズ5夜全部通ったとか、アファナシエフの初来日にしこたま感動したとか、アンナー・ビルスマを即興演奏家のように聴いたとか、ばくぜんとしか憶えていないのは日記をつけていないせいだな。
▼ ミスチルの新譜『シフクノオト』が発売されるまであと13日。毎日ミスチルのねたを書くことにしよう。
ロッキンオンジャパン4月号は桜井和寿インタビュー。ポイントは次の4つでしょうか。
(1)筒美京平 だしぬけに、筒美京平の作曲におけるサビの3重構造(!)に対して「なんだこの貪欲さは?サービス精神?」とリスペクトを表し、自らの作曲においても「これじゃあ筒美さんはオッケー出さないだろうなあ」と思うことを告白している。武満徹が居なくなって現代音楽がダメになった、マイルスが居なくなってジャズがダメになった、に、ならえば筒美京平の存在が“ポップザウルス”桜井をリアルにさせているということか。
(2)AP BANK アーティスト・パワー・バンクという銀行を桜井は小林武史と設立している。それはミスチルが売れることに対する贖罪意識によるものでもあることを桜井は認めている。まさに“キリスト教的な「我と汝」の基底”というものを裏打ちするもの。
(3)天頂バス 「人生ってものは引き返すことができないもんだ」ということを、アレンジを通じて、転調の繰り返しを通じて表現している、とのこと。桜井は精神的にご隠居状態であるようにも見えるインタビューである。けれども、たとえば「もうぼくは恋をしなくていい」なんて言ってて、それでいいんだろうか、と余計な心配も思う。転調が惹き起こすダイナミズムは、天頂バスのとおり景色の過ぎ去りではあるけれども、それは成功と不成功、不可能への企てに対する結果の落差のダイナミズムなんだからして。
(4)ボタンホールのサビ(「くるみ」) 「くるみ」の2番におけるボタンホールのたとえを用いた部分、に、桜井くんは作ってて涙したという。リスナーの大半は「そこじゃないだろ」と思う。このあたりの比喩表現の素朴さといえば、「ファスナー」自体のモチーフの素朴さを想起するところがある。
お、新譜発売前恒例のミスチルのベストCDRを作って楽しもうかな。 あ、インタビューで「Any」がマルチビタミンだとか言ってるけど、「Any」にはサビの3重構造ないしー、イントロからして「Tomorrow Never Knows」狙いの一発芸でしかないとしか思えないんだけどな。え?「Any」は「Tomorrow Never Knows」への返歌だって?おー、ありうる。 『シフクノオト』12曲中、6曲はすでに聴いているわけだし、ぼくとしては楽しみは新曲「PADDLE」だけかな。
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