Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年03月01日(月) |
昔から音符がきらいだった。 |
現在、ECMのサイト(■)を開くと、 『Suspended Night / Tomasz Stanko Quartet』のジャケットがそこにはあり、
「Think of your ears as eyes」
と宣言にも似た。
これ、ほとんど、“書”でしょ。
だから、シャレじゃなくて。
視るが如くに聴け、ということかしら。
昔から音符がきらいだった。 ドレミを知らずにハモニカを吹きまくった幼稚園児だったわしは、小学校低学年に『こどもクラシック名曲EP付き全集』みたいのをあてがわれ、小学3年生になると、クラスのかわいい女の子(ますみちゃんとくみこちゃんとともこちゃんとまゆみちゃん)がみんな音楽クラブに入っていたので、当然わたしも「ぼくも音楽が好き」と大ウソをこいて、でもやっぱり音符を読むのを拒否したため(このあたり、オーネットコールマンを思わせる)、しかたなく大太鼓を担当した。大太鼓は楽で、曲によってはほとんど叩かずに、かわいい女の子たちがあんなんなったりこんなんなったりしながら奏でる演奏に至近距離から酔えた。大太鼓をナメてはいけない、一撃で音楽を瞬殺するものだ。相棒の小太鼓を担当したKくんは理論家で、中学に上がるとわしと共闘しプチ学生運動をした。プチ学生運動と歓ばれるスカートめくりで人気者であったわしは、常に合唱コンクールの指揮者に選ばれた。指揮者なら音符がわからなくても歌を歌わなくても、かわいい女の子のあんなんなったりこんなんなったりした素顔を正々堂々と眼差せるこの上ない立場である。中学時代のオカズはエロ本要らずであった。全校トップのリズム感と指揮者ぶりと自分に言いきかせていたら、中学1年初出場で優勝してしまった。将来は指揮者になるのが夢だという3年生を抑えての優勝じゃった。技術ではないのだ、音楽は愛なのだ。アファナシエフもそう言っている。「あのときだけだね、アンタに才能があると思えたのは。後にも先にも」。おふくろー。
のちにKくんは早稲田に進学し、民青に身を捧げ、共産党員になり議員になった。大学時代にパンクやフリージャズを聴いてたKくんは「ただくん、いま金大中を救わないでいいのか!」と詰めるもので、「金大中より大三元。ぼくはガールフレンドとマージャンとECMをえらびます」と訣別した。音楽とは体制の中にあって、反抗がどうの、民衆のちからがどうの、と、説教をたれられたが、わたしはようやく14ヶ月越しの片思いが実ってあこがれのじゅんこちゃんに中指第二関節まで許されたばかりという、まさに人生の究極地にあったため、ただ、そうはさすがに話せない純情だったもので、だしぬけに「金大中も必死だろうが、わしも必死なんじゃ!」と叫んで彼のアパートから脱走してきた。すべてに理由はあった。
思えば、わたしにとって、音楽はヴィジョンとして現れていた。
かわいい女の子のことではない。
音楽を聴くと、図形とか色彩とか風景とかオーラといったものを感じ続けていた42年であった。
あれ。べつにわたしは死んだわけではない。わたしが言いたいのは、なるほど、「Think of your ears as eyes」は、21世紀にECMが提出してきた、「the most beautiful sound next to silence」に次ぐ新しいコンセプトであると言えよう。しかし、わたしの感覚からすれば、むしろそうであることを今ごろわかったのか、と、アイヒャーにわしは言いたいのだ、なんてな。
マネリ父子の即興が描くヴィジョンはいいぞ。
田村夏樹の『コココケ』も、今生きている音でもって意識を開いてくれる作品だ。
それにしても『Suspended Night / Tomasz Stanko Quartet』は沁みる作品だ。 引き伸ばされた夜、なるほど、聴いていたら夜が明けて昼になってしまった。 洗濯ものも干したし、眠ろう。
■musicircus
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