Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年02月21日(土) |
JALのこの世のものとは思えない美しいスチュワーデス・94年のテリエリピダルトリオ・小林多喜二 |
JAL千歳空港、20時25分発、羽田行きに乗った。 この世のものとは思えない、ありえねーほどに、美しく儚き切ないスチュワーデス、貝田さんというスチュワーデスと遭遇してしまった。 いろんな偶然が重なってしまって、6回も至近距離、この場合、機内であるからにして、ずばり15センチ!、どうだ、6回だぞ、しかも、それぞれ1秒前後、これもまた機内であるからにして、1秒というのは、極めて長い。永遠のように長い。それは泉鏡花の「外科室」のように深い。 帰りに天井に設置されている荷物ケースにアタマをぶつけただけで、大丈夫ですか、って、見つめあってくれるなんて・・・。 なんという美しさだろう。座席ヨコを通り過ぎるだけで、思わず「キレイだー・・・」とつぶやくと、他の乗客と同感と合意の微笑み合いが起こってしまう(!)ほどに、美しかった。 重要なのは、「自分が美人であることを当然理解しつつ制御する知性と配慮のちからを均衡させるがごとくに内省している」美しさであることだ。 また、・・・わけわかんないことを書いてしまっているか?・・・なにをおだってしまっているのだろう。 いわば『ユニバーサル・シンコペーション』の「Bamboo Forest」におけるヤン・ガルバレクのサックスのような美しさであると言える。 とにかく、さすが天下のJALである。おれはもうJALにしか乗らんしJALの株しか買わんぞ。
▼ 94年のテリエ・リピダル・トリオの映像を観る。 ギター、テリエ・リピダル。パーカッション、トリロク・グルトゥ。ベース、ミロスラフ・ヴィトウス。 テリエ・リピダルの代表作に『Skywards(空へ)』(ECM1608)1996を挙げるひとはECMファンだ。 マンフレット・アイヒャーへの感謝を込めた曲に対し「Out Of This World (Sinfonietta)」、“この世界の外側まで”と名付けたリピダルのロマンチシズムに、ぼくは理解する。 『Skywards(空へ)』にミロスラフ・ヴィトウスは入っていないが、94年のこの映像でのリピダルとヴィトウスの演奏意識と、さらにヴィトウスの『ユニバーサル・シンコペーション』と、これらは透徹した美の達成において統一感を保持していることに耳の深いところが感応した。
昨日2月20日は小林多喜二の命日だった。小樽の街の雪は、何年も変わらないままのようだった。 ■小林多喜二(こばやしたきじ) 彼が小樽で発行した同人誌「クラルテ」は“光”を意味していた。 どのような気持ちを込めて“光”を放っていたか、当時の小林のコトバとその土台となる文化的モードと社会環境とを、 昨日のミスチル「タガタメ」に照合することはかなわないけれども、 小林が「タガタメ」を聴いたとするなら、と、連想を働かせてみるのもいいかもしれない。
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