Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年01月25日(日) |
くらきまいーなかしー・『ゆらゆら帝国のめまい』『ゆらゆら帝国のしびれ』・アントニオネグリ・平井玄 |
ありふれたー、きみのなまえー。み、あーげてーごらんーよるのおーほおーしおー。いけね、有線に毒されてます・・・。
不意にラジオで倉木麻衣の曲がかかって、あいかわらずどーでもいい曲歌ってんなあ、でも、倉木麻衣・・・、そのオリジナルな歌唱法、に、耳が奪われてしまう・・・。へたくそ、とは言い切れない。あの少ない声量、ごくわずかな肺活量、せまいはなのあな、けしてマラソンなんかできない病弱少女としか思えない声キャラ、そのくせキャラに合わない明るく健康な夏の少女みたいな歌ばかり歌っていて、どのフレーズにも息が続くのか心配になる、ちょっとした旋律の伸ばしに息が間に合わないスリルを感じる、その語尾の吐息感に、聴いているこちらも窒息しそうになってしまう。そんなふうに決死の覚悟で歌う倉木麻衣を、ぼくがついているからね・・・と一生懸命に聴いてしまう。そんなんでいいんでしょうか。
なかしー。生きているかみさん、・・・ぜんぜんちゃう、もとい、なかしーは生きている神様なのである。天才評論家・平岡正明は「山口百恵は菩薩である」と看破したが、なかしーの場合はどうだろう、もっとデモーニッシュに反転するような二重性を保持してはいないか。 はれぼったい目でダルそうにソファによりかかる化粧品の広告、ファーストツアーのDVDに見るあどけない笑顔、はだしで土俵入りスタイルで歌唱にインしていく動きのモメント、そして、外れそうな(実際外れている?)音程で、よくあるような歌詞を歌う。そう、よくあるような歌詞、であることが肝要だ。日常が聖性を帯びる。これはつんくが、たとえば藤本美貴「ロマンチック浮かれモード」でいつもの部屋の景色が変わって見えると歌わせた一例のみならず、つんくが一貫してJ-POPに放っていることがらだ。だからよ、インストール、なんてありえねー話書いてんじゃねーよ、な、綿矢りさ、・・・でも、かわいー。・・・うーむ、まあとにかくわたしは小説はきらいなのである。 よくあるようなラブソングを、あんなんなって歌うなかしー。 雪降る街をデートするだけの若者たちに2004年のいま立ち降りる聖性を、あんなガキどもに立ち降りるわきゃないやろ!と野暮を思う中年オジサン(わたし)に「聖性を与えているのだな・・・」と思わせるところの聖性を、ハーメルンの笛吹きシンガー森山直太朗が「あの聖なる夜に・・・」なんぞと歌い抜ける白痴ムードの対抗として呈示し得ているところがすばらしいと思うのだ。 あのひとみの一瞥で呈示し得ているところがすばらしいと思うのだ、中島美嘉。
あとのコたちは、 ペルセデス(島谷ひとみ)、アンドロメダ(aiko)、ジュピター(平原綾香)、と、宇宙時代を築いてください、でもってそのあとは宇宙企画へどーぞ。
▼ 今日になって『ゆらゆら帝国のめまい』『ゆらゆら帝国のしびれ』を聴いていますると、ナンバーガールの王位継承は彼らだな、と、思う。 あとは町田町蔵、江戸アケミ、浅井健一、吉井和哉のような巨星になるのかどうかは未知数なりや。 ゆらゆら帝国の『な・ま・し・び・れ・な・ま・め・ま・い』のほうはアルバム規模のボリュームでのライブ音源がたった1000円だったので、 hydeの初回限定DVD付き『666』と一緒にすでに買っていたものでしたが。
「たださんが聴いている、この、ゆらゆら帝国って、どういう意味なんですかね?」とたずねてくる同僚Fさん53さい。 息子さん(18さい)がバイク事故にあった話をしていた。 キャップを頭に載せるようにしたまま(あごひももかけてない)でスクーターに乗って交差点で一時停止無視をしたトラックと衝突。 先行きの見えない意識不明状態が1ヶ月続く。 Fさん「寝ても覚めても、息子の眼球がぐるぐる意識不明でさまよっている姿が離れなくて、生きている心地がしなかったですよー」。 微慢性脳軸策損傷。
Fさんは、新宿西口フォーク集会に集まっていた若者のひとりだった。 吉田拓郎も岡林信康も井上陽水もリアルタイムで聴いてきた。森山良子のファンでもあってLPも全部買ってコンサートもかなり通った。 同世代の若者たちのほとんどがそうであったようにフォークギターを練習した。 妹にフォークギターを教えた。妹は森山良子のように歌い、バスガイドとなって職場で人気者になった。 新宿のうたごえ喫茶「灯(ともしび)」にも、同伴喫茶にも、名画座3本立てにも行った。 「マーメイド」で弾き語りをしていた五輪真弓の才能を見抜いていた。 結婚して息子が生まれた。
「近所のかわいい女の子がキャップだけでスクーターに乗っていて、おじさんが買ってあげるからフルフェイスのヘルメットかぶりなさい、って言うんだけどね。」
「ゆらゆら帝国って、拓郎や陽水みたいなもんですよー」と言うと「へえー、そうなんですかねー」とFさんは目をきょろきょろさせている。 「ぜんぜん違いますけどねー」と言うと「ぜんぜん違いますよねー」と目を大きくさせて笑う。
▼ 去年の東京新聞における『ネグリ 生政治的(ビオポリティーク)自伝<帰還>』アントニオ・ネグリ著杉村昌昭訳(作品社)に対しての書評が秀逸だった。
アントニオ・ネグリについて。
『六十九歳の今もサッカーのACミランの大ファン。 バツイチらしいけど、映像作家の娘がいる。 なんだがイタリアンなおじさんである。 ただ、父親がひまし油を飲まされてファシストに殺されただけ。 父親がわりで、やがて姉の夫となった医学生の勇敢なパルチザンぶりを見て育っただけである。 そして六十年代に始まり、ジェノバや反イラク戦争の大デモにいたる新しい世界運動の渦の中を思いきり生き抜いていっただけ。 特別な人じゃない。イタリアでも世界中のどこにでも、数万人、数十万人、数百万人といる人間たちの中の一人にすぎない。 違うのは、自分が体験した可能性の最もやわらかな部分を新しい言葉にしたことである。』
このテキストを書いたのは平井玄さん。 ザッパ、パーカー、ウルマー、バルトーク、アイラー、エリントン、ハンラハン、モンク、ロリンズ、アイスラー、オーネット、西田佐知子、フランク永井・・・ ■『引き裂かれた声―もうひとつの20世紀音楽史』(毎日新聞社) この本を読むと・・・、いや、手にするだけで、音楽をテキトーに聴いて暮らしているだけの自分が恥ずかしくなる。 そして、音楽をもっと聴きたいと思う。
平井玄[ヒライゲン] 1952年東京生まれ。音楽、思想、社会等幅広い領域を、独自の視角で論じる。早稲田大学文学部抹籍。1980年、竹田賢一らと先鋭な音楽批評誌『同時代音楽』を創刊、ジャズを中心とする音楽のプロデュースや、様々な社会運動にも携わる。92年には、パレスチナから音楽グループを招聘し、コンサートを催した。現在、早大文学部講師
参考テキスト=■教科書が教えてくれない歴史たち あれ?飛ばないですね・・・ここのテキストなんですが・・・ http://www.shohyo.co.jp/punch/composite/composite23.html
ロヴァの耳■musicircus
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