Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年01月13日(火) |
ポール・ブレイを聴いた・「私」が「私」に影響を受け、より「私」になっていく(藤井郷子)、ということ |
「肉は悲しい、ああ、わたしはすべての書物を読んだ。 /逃れる!何処へ逃れるのだ!……」 from 「海の微風/ステファヌ・マラルメ」
ZYX(ジックス)や倖田來未(こうだくみ)の映像をデカい画面で見ながら徹夜して。 朝になったからポール・ブレイを聴く。キャロル・キングの「空が落ちてくる」でも良かったんだけど。
茶碗一杯分の冷えたごはんと生ラーメンがひと玉残っているから、たまごごはん(冷えたごはんヴァージョンが好きー)とラーメンを食べた。コンビニで水道料金を払って、友だちにヤン・ガルバレクのチケットを送るのに郵便局へ行った。
▼ 『アローン、アゲイン/ポール・ブレイ』(KMCJ-1002) Alone, Again solo piano / PAUL BLEY (Improvising Artists Inc)
ポール・ブレイのピアノは、ジャズ・ピアノに精通していないリスナーにこそ出会うと思う。
ECMを設立する直前のマンフレット・アイヒャーは、西ドイツから海を越えてニューヨークのポール・ブレイを訪ねていた。壁にかけてあったカセット・テープにアイヒャーは興味を示し、69年の暮れに創立したECMレーベルの初期作品には『Paul Bley with Gary Peacock』■や『Ballads』がカタログに収まることとなった。 ECMの初期のカタログ(■)を見ると、incus設立直前のディレク・ベイリーら(Music Improvisation Company)欧州即興から、ポール・ブレイ、チック・コリアのサークル、スタンリー・カウエル、マリオン・ブラウンらのニューヨーク・シーン、自国ドイツの前衛ウルフガング・ダウナー、ジョージ・ラッセルの許で研鑽をしていたヤン・ガルバレクらの北欧出身者まで、ECMの原義(Edition of Contemporary Music)の視野が伺えるラインナップとなっている。 72年にポール・ブレイは初めてのソロ・ピアノで『Open, To Love』■という異様に美しい作品をこのECMに録音する。この録音におけるピアノの音の“虚構”、に、世界中の耳が息をのんだ。官能的でさえある、と、およそジャズ評論にはない表現までが立ち現れた。プロデューサーのアイヒャーが持ったであろう“このように聴きたい”という欲望がオーラのように立ちこめている。 この『Open, To Love』は、ポール・ブレイの代表作と呼ばれ、ECMの名盤のひとつとしても世界的に認知されることになった。 『Open, To Love』は、アイヒャーによるポール・ブレイ、である。ブレイによるポール・ブレイ、という言い方は妥当ではないかもしれないが、この2年後、ブレイは自分で設立した自主レーベルIAI(IMPROVISING ARTISTS INCORPORATED)で、ふたたびピアノ・ソロを録音した。それが『Alone, Again solo piano』である。 この2作の甲乙を付けることはできない。しかし、『Alone, Again solo piano』のほうが明らかに演奏の生命といったものが持続している。明らかに、そこにポール・ブレイが時間を経過しながらピアノに向かっている、過酷な演奏の自由や闇や思索といったものを聴き取ることができる。 そして、それこそが、ジャズの本質的な体験だと言うこともできる。
ブレイはIAIレーベルを立ち上げてからはECMに録音を残さなくなった。 サイドメンとして83年に『This Earth! / Alfred Harth』(ECM1264:1983)、(これは、Alfred Harth、Paul Bley、Trilok Gurtu、Maggie Nichols、Barre Phillipsという、当時も、そして現在もあり得ないメンバーでの作品で、内容も他に類を見ない逸品、廃盤にしたままなのはいかがなものか)、で、ECMに復帰し、その後、『Fragments / Paul Bley』(ECM1320:1986)、『Paul Bley Quartet』(ECM1365:1987)で、ジョン・サーマン、ビル・フリーゼル、ポール・モチアンを従えたリーダー作で、いわゆる世界的なメディアに再登場している。
ポール・ブレイが制作していたIAI LABEL(IMPROVISING ARTISTS INCORPORATED)の音源は、輸入盤ショップでアナログのレア盤としてしか入手できないような状況が続いていたが、ここにきて国内盤として発売されるようになった。 ■株式会社Musik<ムジーク>
『Alone, Again solo piano』のライナーを書いているのは、ピアニストであり自己のオーケストラを率いる作曲家の藤井郷子さん。藤井さんはポール・ブレイに音楽を教わっている。音楽理論や演奏法を教わったのではなかったという。 ブレイは藤井に「レッスン代を払って先生に習うよりは録音代を払って自分の音楽を録音して聴く方がはるかに勉強になる」と助言している。 ほとんどの先生たちは、できないことを練習しろと言い、できないことを指摘した。 ブレイは藤井に、できることを指摘した。 そして、 「私」が「私」に影響を受け、より「私」になっていくというプロセスがはっきりと感じられた、と、藤井は書いている。
「私」が「私」に影響を受け、より「私」になっていくこと。
ぼくはこのフレーズにぐっときた。 そして何度となく『Alone, Again solo piano』を部屋のオーディオから響かせながら、 その音楽がぼくの意識を開いてゆくのを感じる。 そういうふうにぼくは『Alone, Again solo piano』にふたたび出会った。
▼ 株式会社Musik<ムジーク>のサイトで今井正弘さんが、この作品について書いている部分を引用しておきます。
孤独よ、再び
19世紀初頭のパリ、厭世感を漂わせた酒、 アブサンを愛飲した作家や詩人たちが横行し たという。その思考を奪う甘美な酒は、 自殺者まで出したために製造を禁止されたが、 それはやがて穏やかに解禁された。
そんな歴史の中のストーリーを思い起こさせるのが、 ポール・ブレイのピアノ・ソロ『アローン、アゲイン』だ。 この優れたタイトルの作品は、時に『オープン、トゥ・ラヴ』 と並び称されることがあるが、ブレイというピアニスト とじっくり付き合って人ならば、この2作に共通するのは、 共にソロ・アルバムだということぐらいだ ということに気付いているはず。 シングル・トーンが、メロディラインが、 というようなことを『アローン、アゲイン』の前に 出すのはナンセンスだ。 ここでのピアノの響きはリリックなのだ。 ひたすら彼にまつわる二人の女性ピアニスト/ コンポーザーの作品を使って“孤独を模索”しているのだ。 何度も何度も。 あの薬草たっぷりの個性的な酒、アブサンが人を 彼岸に誘うならば、この『アローン、アゲイン』も、また…。
懐には笑いと、衝動と、孤独を忍ばせて歩いていたい。と 書いたのは誰だったか? 二人からの孤独、再びの孤独、ピアニストは静かにだが、 一心不乱に弾いた。 あのアブサンにも通じる作品が再び世に解き放たれた。
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