Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2004年01月12日(月) |
阿部薫の初期三部作『アカシアの雨がやむとき』『風にふかれて』『暗い日曜日』CD化 |
▼ ポリスターからリリースされている『70年代日本のフリージャズを聴く!』第2期■
孤高の天才アルトサックス奏者として知られる阿部薫については、若松孝二監督が映画『エンドレス・ワルツ』(1995)で阿部薫役に町田町蔵(現・町田康=芥川賞作家)を抜擢して描いていた。
町田康(まちだこう)は芥川賞作家となり、昨年はSMAPの『MIJ』の1曲で作詞を手がけている。 「おまえは権力のINUかー!」
このサイト■のサウンドサンプルでは阿部薫の4つの音源を同時に鳴らして聴けてしまう、という。
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「彼は、バードよりもドルフィーよりも早い速度で、私たちの前から姿を消してしまった。」(小野好恵)
サックスは声に近づく、と、書くと語弊に掬われる。どの瞬間にも限界に、その場限りであれ何であれ限界に、次の瞬間に何が起ころうが知ったことか、と、阿部薫は吹いている。共演をするときには、勝つか負けるか、だけだ。阿部の演奏は、聴く者に対して、時間を過ごすことは腐敗してゆくこと、を、その宿命を意識させ続ける。阿部は、死してなお、遺された音源によって、そのことを聴き手に突き付けてやまない。 阿部は神聖化されている。影響や巧拙や役割でジャズ史に位置付けられない存在。聴く者が過剰に語るか沈黙する、のはそのせいだ。腐敗するすべてを憎む。 速度がすべてである『解体的交感』(1970)、技巧的頂点を記録した『彗星パルティータ』(1973)、壮絶な記録『なしくずしの死』(1975)、と、それでも、何の必要があって、残された録音を彼の代表作として分類するのか。それぞれの録音はどれも阿部の生き様の一断片に過ぎない。 今回リイッシューされた三部作、『アカシアの雨がやむとき』、『風に吹かれて』、『暗い日曜日』は、編集者・小野好恵(故人)が1971年に録音したテープを、晩年の阿部を支えたプロデューサー稲岡邦彌が、小野の遺志によりアルバム化したもの。こう言っていいのかどうか、この時期の阿部の、可能性を秘めた、と言うべきか、これらの演奏に、微塵にも悲壮感といったものが漂わないのは、「アカシアの雨がやむとき」、「チム・チム・チェリー」、「恋人よ我に帰れ」、「風に吹かれて」、「花嫁人形」、「暗い日曜日」といった旋律に手繰り寄せられる即興を歌っているからではない。 今年、この3枚を聴いて考えさせられたのは、阿部の可能性、といったものだ。恥ずかしい話だが、今回、阿部薫という固有名詞を排除して、改めて無名の新人として聴いてみた。やはり、そこに聴かれるのは腐敗を内に秘めた時の宿命である、が、しかし、彼の音楽が未来において孕んでいたものにも、また明確に気付かされた。“阿部はソロで(短い生涯を)吹き抜けた”という通念に、私は、知らず縛られてしまっていたようである。
小野はライナーをこう締めくくっている。 「確かに阿部は孤独を好んだ演奏家かもしれぬ、しかし彼のたぐい稀な才能に喰いつくジャズメンがいれば、彼はニヤッと笑って喜んで共演した男だった。阿部の元来は開かれた才能を閉じさせてしまったのは結局日本のジャズ界なのだ」
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