日記...マママ

 

 

火の国まつりのこと - 2006年08月11日(金)

そういえば昨年は、あの「おてもやん総踊り」を学に見せたのだった。
ほら、すごいでしょ、すごいでしょ、と笑いながら見せていたら、困惑しながらも「すごいです」と素直に驚いて、笑っていた。
アンパンマンの着ぐるみをふたりで一生懸命追いかけて写メを撮った。

でも昨年は花火の日を一日間違えていて、お城に見に行ったらもぬけの殻だった。

今年は2000発しか上がらないらしい。
打ち上げ花火を見せてあげたかったと思う。


この火の国まつりの花火を見ていると、なぜか、何かの節目のような感じがする。
夏はもう終わる、っていう合図なのだろうか。

遊覧飛行機がぐるぐると上空を飛んでいる。
花火の中を、プロペラ音とともに飛行機の赤いランプが突き抜ける。
その飛行機の中には、たくさんの興奮と感動と幸福が詰まっているんだろうと思う。素敵だ。

あ、やばい、泣きそうだ、と思った瞬間にはもう涙は止まっていた。
泣いてスッキリするのなら、泣きたいのだ。
けど最近、涙が出ない。

あまりにもふがいなくてしょうもなかった数ヶ月前の自分とか、そこから変わったと思いたい、でも本当に変わったの?変われているの?と疑いを拭い去ることのできない自分とか、
かわいそうな学のこと。

知らないですんだことなのかもしれないけれど、知ってしまえば目をそらすことはできなくて、そして、それはあまりにも重たくて、辛い。

そういう不幸が、たくさん、どれだけたくさん、日本にはあるんだろう。

こういう話ができる人はどこにいるのかな。

花火を見ながら、日本に転がるたくさんの不幸せに思いをめぐらせる、ことが、決して悪いことだとは思わない。けど。
こういうことをこういうタイミングで話して、不思議がられるのは、もうめんどうで、うんざりする。
だから、話さない。

花火はどうしてこんなに物悲しいのだろう。

学の携帯に写メを送ろうとして、やめた。
そうすることで、どうなるというのだろう。
学の家族は、私にはもう会いたくないだろうと思う。
辛い記憶が呼び起こされて、きっと、たまらなくなるだろう。

私ひとりが殺したわけでは、ないと思う。
けれど、私は学の背中を押した。
どん、と突き落としたのは私だ。
どうすればいいんですか。
生きる、一片の後悔も迷いも曇りもなく、まっすぐに生き通すことができればいいのに。
まるで人間じゃないみたいに、神様のように、聖人君子のように。
私はいつも迷っているし、悩んでいるし、後ろばかり見ている。
それではよくないと思う、けれど、後ろを見ないことなんて、できると思う?

自分がよく生きること、にはあまり関心が持てなくて、どうすれば罪を償うことができるのか、許されることなのか、どうすれば許されるのか、
どうすれば、彼はゆっくり安心して休めるのか、

花火が終わったみたいだ。
終わり際の花火はどうしてあんなに大きなのがたくさん打ち上げられるんだろう。盛大で、華やかで、それはもうすぐ終わるから、クライマックスだから、終わらないで。終わりは悲しい。ずっと続いていればいいのに。

涙は出そうになって出てこない。

紹介したい教室がひとつある、と今日本部から連絡があった。
母の教室のほかにもうひとつ教室を持ちたいという意向を前々から伝えていたのだが、それをこうしてちゃんと汲み上げてくれていたんだな。
公文っていい会社だな。うん。

前を向いて歩いていくことが答えなのかどうかは、わからない。
多分そんなに簡単にわかることじゃない。
本当は迷う。生きることを続けるべきか、やめるべきか。
それは「自殺する」ということでなくて、自分をあきらめるか、あきらめないか、の違いのことで、外見には多分大きな違いはないんだろうけど、私の中では大違いで、あきらめるべき、のような気もする。お前には、「生きる」価値なんてないんだ、「生きる」資格なんてないんだ、
ひとりの人を殺しておいて、それだけのことをしてまで、「生きる」なんて。
って、変なの。
わかってるけれども。

正論じゃなくてさぁ。



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