延々とホッチキスの針を抜く - 2005年02月20日(日) 会社に荷物の片付けとか備品返却とかに行った。 日曜日の夕方という一番人が少ない日時を狙って行くのがなんかコソコソしてて嫌だったけど、もし今の私が職場の知り合いに会おうものならいつもの挙動不審など目じゃないくらいにオドオドオドオドしまくるのがわかっているので、なんとしても遭遇を避けたかった。 200ほどの机が並ぶ広いフロアには数人の出勤者がいたが、知り合いはいなかった模様。一安心。 時間がかかったのがホッチキスの針抜きで、これが後で面倒だから極力ホッチキスを使わないように心がけていたつもりなんだけど、やっぱりそれなりに溜まっていた。 すごくたくさんの裏紙が出来た。(ついでにマイ針抜き器が酷使に耐えられず壊れた。)これで当分は裏紙専用プリンタも順調に稼動するわ。役に立ってよかったよかった。となんだか本末転倒なことを思った。それにしてもホッチキスの針って、一回使ったら終わりだなんてもったいない話だよね。ちょっとは各種クリップを見習え。 会社でいろんな雑用を一気に片付けたからか、帰り道はテンションがブイブイ上がっていくのを感じた。やっぱりこういう刺激を与えないと感性は鈍るし頭も悪くなるばかりなんだろうな、と改めて思う。それがわかっているのに動けない私はなんなんだ。 よっしゃこの機会を逃すまじ、と帰り道にレンタルビデオ屋に寄って、前から気になってはいたけれど何となく手が出せずにいた「17歳のカルテ」を借りる。粗筋は知ってるんだけど、今の自分に何かしら変化をもたらしてくれるかもしれないと期待して、ついでに店内でかかっていた曲が何気なく気になり、探すと「店内on air中」とプレートの貼ってあるコーナーを見つけたのでそのシングルも借りた。 結果としてそれは店内でかかっていた曲ではなかった。歌ってる人も違う。だいたい「on air中」って表現自体が「頭痛が痛い」と似てますから、残念!とかわけのわからんことを思いながら、パソコンに取り込む気にもならず速攻で返すことにした。 で17歳。 観終わった後、自分の抱いた感想が世間のマジョリティとズレていないかどうか少し気になり、いくつかの批評サイトのレビューを見てみた。基本的にはそうズレてなかったようだ。というか、年代にもよるけどこういう感想がきっと多数派なんだろうな、と思いながらサイトを見ていたら本当にその通りだった、と言った方がいいのか。要するに、世の中そんなに甘くないんだよ、ってことでしょうか。自分の価値観は自分で創っていくしかないというような。あとアンジェリーナ・ジョリーかっこいい。個人的にああいう淡々とした地味な美しさを保った映画が大好きなのもあり、面白かった。確かに今の私にちょっとした変化をもたらしてくれたような気がする。しかしあの変態精神科医はストーリーに果たして必要だったのか。別にあの人が皆の主治医である必要はないような気もするんだけど。って調べてみたら実話がもとになってるんですね。ホントかよ。あれがホントなら、そのへんの精神科病棟とはだいぶ異なる特殊な環境だったんだろうと思う。って私もそのへんの精神科病棟がどのような雰囲気なのかよく知らないけど。 前の晩、アンジェリーナに完膚なきまでに打ちのめされた友人→翌朝起きたら部屋にいない→探す→友人の飼い猫がバスルームの扉の前でうろうろしている→扉に向かって名前を呼ぶ→返事がない→もしかしたら…と危惧しながら扉をそっと開く、までの数分間はホラー映画を見てるときと同じ恐さがある。ウィノナももちろんその数分間はすごく怯えて恐がっている。 そんな修羅場に立ち会えばそりゃ人生観も変わるだろう。死に直面して恐かったってことは本心は全然死にたくなんかないってことなんだよね。 ウーピー・ゴールドバーグがウィノナ・ライダーを叱りつけるシーンに「自分が感じていたことを全部代弁してくれた」という感想を持つ人は多いだろうなぁと思っていたらやっぱり多かった。 ポイントは、友人の自殺現場を目の当たりにした直後のウィノナに、畳みかけるように現実を見せつけるというところにあるんだろうと思う。このタイミングで叱られたことがウィノナのひとつの転機になったのかも。17歳なんてとうの昔に過ぎ去った今の私にも当てはまるところが多分にある。それがわかっているのに動けない私はなんなんだ。ほんと。 -
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