仕事に遣り甲斐を求める考え方 - 2002年08月30日(金) 遣り甲斐の無い仕事はないと思うけど、そもそも「やり甲斐」ってなんだ。 社会への貢献を実感できたときだろうか。 「社会」なんて大きなものではなくても、お客さんが満足してくださる姿を見ることができたときに感じる満足感、ベストを尽くし奮闘した末に得られる達成感・満足感だろうか。 「生活のため」以外で仕事をする動機というと、そんなのが思いつく。 多少なりともそれがないとやってられない。 苦労が大きいだけ達成感も大きく、成長できた気もする。 次はもっと、その次はさらにもっと、いい製品・いいサービスを提供したいと思う。とても大事なことだと思う。 ただ仕事を「生き甲斐」にまでしてしまうと自分を見失うだろう、というのはなんとなくわかる。 うまく言えないが、「生き甲斐」にしていいものを悪いものがあると思う。 たとえば自分以外の人間を「生き甲斐」にするのは危険なような気がする。 それは過度の依存と紙一重だ。 しかし「まー私が死んでも世界は回るんだし、特に何が変わるってわけでもないんだろうけどさ、あいつがいるからまだ死ねないなー」というぐらいならば健全だし、そう思える人がいない人生もちょっぴり寂しいかもしれない。 何が言いたいのかよくわからなくなってきた。 「生き甲斐」は「自分の内側から沸き起こる何物か」であるのがいいな、と思う。 何言ってるのかさっぱりわからんね。 要するに、何か外的なものにあんまり依存しすぎるといかんよ、と思う。 仕事に溺れるのは怖い。 溺れない範囲で「やり甲斐」を追求できれば、毎日きっと楽しい。 私は単純に、毎日をなるべく自分の思い通りになることが多いようにして楽しく過ごしたいだけなんだ。 仕事への意欲はそういう生活の中からこそ沸いてくる。私の場合。 とりあえず残業やだ。 帰りたい。 帰ろう。 何が何だかちっともわからん日記だ。 -
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