槇原敬之「Personal Soundtracs」〜マッキーの思い出/月明かりの夜に何を想う
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槇原敬之「Personal Soundtracs」 昨年末から、槇原さんのCDを、たくさん聴いていると想います。家にあるたくさんのCDを。その中で、オリジナルアルバムとして、新しいこの作品、歌詞をじっくり読んでいることが多々あるんです。
マッキーの曲や詩というのは、なんだろうなぁ。あたりまえの日常、あたりまえの光景のなかで、純粋に人を好きになって、純粋に失恋して。等身大の歌詞が、すーっと引き込まれるのです。だから、単純に詩だけ読んでも、こころが痛くなるようなこともあったりします。
もう高校生のころからずーっと聞き続けてる。コンサートも何度も行った。 3年前くらい前のコンサートも、涙止まらなくて。
自分の青春期から歩んできた歴史と、マッキーのデビューから現在までとが、密接にリンクしている感覚
「Taking The Central Course」 「Firefly」
このアルバムに入ってる中でも、この2曲は、単純に詩だけ読んだとき、特にこころが痛い。ふーっと、過去のことがフラッシュバックしてしまったり、現在のことを想ったり。
槇原さんのこれまでの楽曲は、過去と現在と未来を、自由自在に行き来させられてしまう不思議な曲なんですね。僕にとって。
そのスタートは、「どんなときも」になります。高校の生徒会室(当時生徒会副会長をしてた)で、リピートでなんども流れていた記憶が非常に強いんです。そこがはじまりなのですね。
マッキーの歌で、泣いたり、笑ったり、語り合ったり。こころの傷を癒したり。 それぞれの歌に、それぞれの時代の思い出ってあるんです。 語りだしたら、本当にきりが無い。
これからの新しい曲、楽しみだし、どんな思い出の曲に変化していくのか・・・
次回の、コンサート、行きたいな。
きょうの夜の駅前。満月に近い感じで、月明かりが眩しいくらい明るかった。月明かりに照らされた、自分の影を追いながら、家路に急ぐ。 夜の月でも、こころが癒されるものです。 孤独に打ちひしがれそうになるけれど、なんとか綱渡りしながら生きていけるのは、こうしたささやかな日常にあふれる美しいもの、やさしいものを、感じられる、やさしい繊細なこころを、持てることができてるからだと、再確認してしまいます。
人がどう僕も想っても、僕はさらっと、美しく、ひとり生きていく。
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