阪神淡路大震災15年特集ドラマ その街のこども
きのう、震災から15年。 その夜、NHKで放送されたドラマ。
非常に実験的なドラマ。 フィクションとノンフィクションの境界線上にある、リアリティの空気がピーンと張り詰めて、それ以外のものは、排除された作品になっていた。
1月16日の夜、勇治(森山未來)は、広島への出張の途中、かつて住んでいた新神戸へ下車する。そこで、美夏(佐藤江梨子)と知り合う。ともに被災者であり、震災が原因でずっと心の傷を負っている。2人は、いままで避けていた、震災の辛い記憶を語り合いながら、夜の神戸の街を歩く。目的地は、美夏が行こうとしていた、早朝の神戸・三宮の東遊園地で行われる「1・17のつどい」の会場。一晩中、神戸の街を歩きながら、こころの傷を吐露し、想いがあふれ出し涙する。過去の想い出の地を歩きめぐることは、一夜のロードムービーといえるかもしれない。2人が、震災というテーマで対峙した末のラストシーン、東遊園地の前で、2人は抱き合い、そして別れる。
実際、森山くんも、サトエリも、震災を経験している。 だから、たとえば、居酒屋での長い会話のシーンは、本当に2人の震災の思い出を語り合っているのではという感覚に陥る。演じている2人にも、それぞれの震災の想いを込めて、素で演じている部分があるのだろう。会話があまりにリアル。
「焼き芋を2000円で売ってたねん。ありえんやろ。だから、石ぶつけてやったんや」
(震災直後、お金を何倍もふっかけて商売していた店があった)
美夏を演じるサトエリの、そんなセリフが、一番リアリティがあった。
それを「ふっかけるのも、あたりまえ」と、クールに返す勇治。勇治の父も、当時屋根職人として、おなじようにふっかけて商売して、なんとか生きようとしていたが、勇治はこれが原因でいじめに逢い、その後東京へ)
そんな2人のリアリティある言葉のやりとりが、こころに痛く、そして、だんだん涙を誘ってしまう
非常にリアリティがある。 でも、まったく演出的に装飾されていない。 まさに、ドキュメンタリー的なドラマ。
ラストの1・17のつどいのシーンは、実際のきのう朝、撮影されて、すぐにドラマに使われたそうです。そのことも、リアリティがある理由かもしれない。
斬新な手法で、震災のドラマを制作したNHK、この作品は秀作だと想います。
僕の周りで、震災のあった日を覚えている人が少ないことに驚いたりした。僕は、時間まで覚えている。
15年前の、この日のことは、日記でその都度書いているので、ここでは書きませんが、これから先も忘れることはないでしょう。
神戸市の人口にしめる、震災以降に生まれの人が1割を越えた。 これから、この震災を語り継ぐ、継承が大切になってくるでしょうね。きのうは、震災の番組をたびたび見ながら、涙ぐんだり、考えさせられたり。
人を救うのは人しかいない。最後には。 人との絆って、どんなに大切かということ。 日ごろ、私も、そのことは意識して、生きていかないといけません。
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