珈琲と器の関係
Jカフェにて、まったりお茶をしました。ちょうど、横なぐりの雪交じりの雨が打ちつける直前だったので、タイミングよく。ほの暗い和の店内にて、座敷でゆったりした時間が流れる。いつものカフェとは違って、とくにリラックスしながら、会話も弾む・・・コーヒー、ラテなども、和のテイストの素敵なカップに注がれて、丸い座卓にやってくる。その器の感触、ほの暗い店内だからこそ、そういう器のデザインが、ほんのりあったかく、見た目でも楽しませてくれる。いろんなお店の雰囲気などひとつひとつ、発見があって、「すごいねぇ〜」って会話が自然と出てしまう。格子の窓からは、そのよこなぐりの雨の様子が垣間見える・・・ 珈琲ってね、なにも丸い取っ手のついた形にこだわることもない。素焼きの取っ手のない器・・・それが、不思議と柔らかく、ミルクでふんわりしてる色をしてるラテにはよくあっている。
価値観や時間の流れ方、やさしさが、自分と等しいほんわかした方とお話していると、あっという間に時間は過ぎていく。でも、同じ時間の流れでも、その場の雰囲気から、器の一つに至るまで、関わるものとか要素全てをいっしょに楽しめることができる・・・それだけでも贅沢な時間に変化していくものです。Jカフェなどは、どのお店も、「灯り」を置いている。ほのかにともるその灯りは、会話や、相手との距離などに微妙な変化を与えるものですね。うん。なんかお互い変な感じでした。
休日は、本当にひとりで過ごすのが当たり前のこのごろ、しかし、誰かと関わるという時間を与えられた時、一つの物事や見たもの感じたものへの驚きや喜び、感動を複数で味わうという行為は、とても有意義に思えてしまう。人によっては、だから?っていわれそうだけど、そんな何気ないささやかなものを、ミツメてここちいい時間に変換できることは、大切だな。きっとって、再認識した1日でした。
袋町の最近オープンしたショップ(アメリカンな雑貨とカフェがいっしょになった)に立ち寄ったのですが、そこに「ファイヤーキング」がたくさんあったのです。カラフルで柔らかいガラス食器。銀・金などの、めずらしいものもあった。Jカフェのような、和食器でいただく珈琲、そして、ファイヤーキングのような、ポップなマグカップでいただく珈琲。おなじ珈琲でも、いろんな場面、雰囲気、人・・・それによりまったく性格もデザインも違う器でいただくのも、なんだか楽しいものだ。
きょうのような時間の流れ方、もっともっと増やしたいな。
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