「ほんとうのやさしさ」
考える。本当に考える。ほんとうのやさしさって? 人と関わっていると、ときにわからなくなる。 好きだから、大切だから、いつも笑顔で、やさしく接する。逆に、あまり踏み込んじゃいけないって思うから、距離を保って、静かに見守ることも優しさだったりする。誰かを待ち続けることも、やさしさだったり。仕事で、かなり無理して、不可解なことも、胸の中に飲み込むことも多い。やさしくありたいから、頑張りすぎる。で、自分のこころに無理がくる。
人間関係には適正距離ってあるから。その距離も人によって違う。それと比例して、優しさも、人によって変わってくるのかもしれない。難しい。昨年の後半あたりからいろんな出来事があり、その都度、自分のこころの中で複雑になってしまった。
やさしさって、日常のささやかなことであったりする。「ありがとう」のひと言もおおきな優しさ。恋人どおしであったら、見つめあうこと、抱きしめること。言葉を交わさくても通じ合うということ。それもやさしさ。泣きたいときは泣けばいいよ。傍にいてあげるから・・・とかもね。
人に対して厳しくならなくてはいけないときもあります。冷たくならざるを得なくなるときもあります。時には、大切な人、いままでの思い出を「忘れる」ことが、その人への「やさしさ」になることもあると思う。 僕は、自分なりの精一杯のやさしさってあると思ってた。でも、それはひとりよがりであったり、懸命なのだけど、けっきょく無駄になったり。伝わらなかったり。
それでも、僕は、出会いも、別れも、すべての現実をしっかり受け入れなくてはいけない。逃げたりはしない・・・自分に出来ることをしていきたい。遠くから幸せを祈ることだけは忘れたくないから。やさしいままで、変わらないで、僕はここに、存在するということ。静かに存在するということ。
いまだ、誰かの「かけがえのない人」になりえないのは、寂しくもある。誰かに純粋に必要とされることは、きっと自分にとって、生きる意味につながる部分もあると思うから。まだまだ自分が人間として未熟だということかもしれないね。たいした人間ではないからね。 大切な人に対して、「ひたむき」であることだけは、変わりえないことだけど。 とにかく、自分はしっかり生きていかなくては。
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