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 2023年04月13日(木)   分陀利華(その2) 

祖母の葬儀に出席するに際し、最もネックだったのは喪服が手元にないことでした。
コロナ禍のここ数年、都内勤務の私は老人の集まる親戚の葬儀に出なくていいと
言われていてスルーしてきましたし、数年前に50代以上の社員を果敢にリストラしたのもあり、
仕事関係で出席する機会もありませんでした。実家には20年以上前、祖父の葬儀で
着た喪服一式はあるのですが、今、着られるかは定かではありません。

まずは9時開店のイオンモールにワンピースを買いに行きました。
小物類は20年前の物が使えるのでは…とわずかな期待を抱いていたのですが、
パンプスは経年劣化でボロボロになってしまっていました。
結局、名駅の高島屋でバッグとパンプスを買う羽目になりました。
(家にあったパンプスは葬儀に適していない先の尖ったデザインだった)

イオンモールと違って、予算と希望、使うタイミング(双日)を伝えると、
在庫から適した品物を探してくれる百貨店の店員さんは流石だと感じました。
お値段の何割かは確実に人件費ですね。価格面でワンピース≒バッグ+パンプスとなり、
交通費なども含めると12万円以上を1日で費やしました。正社員になっていて助かりました。

祖母は100歳手前まで長生きしたせいで、生き残っていた友人も一人しかおらず
(その人が誰の悪口も言わない良い人だったと嘆くので私と母はあんぐり)
出席者の9割が親戚。喪服にそこまで神経質にならなくても結果的には良かったのですが。

派手に葬儀をやってほしいという故人の希望を汲んで広い会場で大きな祭壇を組み、
過剰なまでに花で飾り付けられた会場で行われた通夜と葬儀は、祖母が通っていた
寺が浄土真宗だったので、対照的にシンプルなプログラムでした。

浄土真宗では阿弥陀の本願を信じた人は亡くなった瞬間に極楽往生して仏となり、
何の心配も不要だとされます。だから葬儀は供養や追善ではなく、往生させてくれた
阿弥陀如来へ感謝し、信仰に触れる機会でしかないのです。読経もしません。
私たち参加者にも本が配られ、全員で正信偈を唱えました。

正信偈は浄土真宗のエッセンスを凝縮した文章で、親鸞が書いた当時は読本でした。
これを朝夕の勤行で唱えろと決めたのは蓮如です。浄土往来に必要なのは
阿弥陀の本願を信じる信心のみであり、念仏を唱えるのは功徳を積むためではなく、
報恩でしかないと説明し、讃えています。また後半ではインドから日本に至るまで
この教えを伝えてきた七高僧の業績を讃えます。龍樹の名前はリアタイで見つけました。

両親を8歳までに失い、天台宗で20年ほど修行しても心の平穏を得られなかった
親鸞が法然の教えを聞いて他力本願に救われたのが28〜29歳の頃。
これは鎌倉時代ですが、蓮如が生きた戦国時代は更に民草まで殺伐としていたのでしょう。
後生の一大事さえ解決すれば現世は…という思いで一向一揆が起きたのも納得です。

祖父の時は父と叔父が斎場に泊まり込みしたようですが、今回は全員帰宅。
家族を名駅のマリオットに泊めて(3人泊まれるホテルは岐阜では見つからなかった)
一人、実家泊を選んだ弟も合流して、親子4人、前にこの顔触れで過ごしたのは
どのくらい昔なのか、思い出せないぐらい久々に水入らずの団欒を過ごしました。
弟とゆっくり話したのは、コロナ禍以降初めてだったかもしれません。いい夜でした。

2023.4.23 wrote


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