Land of Riches


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 2017年01月09日(月)   栄枯盛衰 

次に福岡へ行く時は絶対に行きたい場所、として「秋月郷土館」がありました。
刀ステの福岡公演が取れた時、福岡発着の飛行機が3連休高すぎたのもあり、
北九州空港→刀ステ小倉公演→福岡市博物館→秋月→佐賀空港という旅程を組みました。
甘木駅前のホテルはPH9という源泉かけ流しでしたし!

甘鉄の1両ディーゼルカーも既にノスタルジーを感じさせましたが、
そこから大きくもないバスでどんどん山奥に進んでいった先、
山に囲まれた盆地が、古くから要所とされた秋月でした。

実は昔、九州内での主要な交通路(長崎街道)は小倉から南西へ斜めに進むルートで、
博多はむしろそこから外れた土地でした。小早川隆景統治の頃に一度は
捨てられた城である秋月に入り治めていたのが長政三男・長興の血筋である秋月黒田家です。

息子に秋月に行けと指示したのは長政でした。四男・高政は山の上に
城を構えろという父の遺言をスルーして平地に住んでいたのですが、
海に面した福岡に縄張りした長政が何を思って“時代遅れの山の中”である
秋月に最も溺愛した息子を送ったのか。秋月黒田家と黒田本家は
複雑な関係を江戸時代通して続けていくのですが…雑煮ひとつとっても
全然違うものを食べる(朝倉の雑煮は茶碗蒸しに餅が入った蒸し雑煮!)んです。
突き詰めていったら、いろいろ面白いでしょうね。

今年の9月に朝倉市は新しい歴史博物館を開館するんですけど、
今の建物は入口で虫や蟹(!)の侵入をドアの下に養生テープを貼って防いでて、
長政が関ヶ原で使ったと秋月藩では伝承されている大身槍が一部錆びてたり、
やはり関ヶ原で使ったという大小の刀が通年展示されているのを見て、
なかなか切ない気分になりました。長船の数打ちです多分。
長政は、切れさえすればブランドにはこだわらないって自分で言ってましたからね。

そして、とにかく見たかった島原陣図屏風。こちらはさすがに今はレプリカの時期でした。
それでもずーっと、食い入るように眺めてました。高政どこにいるか分からなかったけど…。
(長興は教えてもらって発見。これまたなぜ通年展示?!という鎧を着てました)
長政の息子3兄弟とそれぞれに引き継がれた長政の刀の話は、いつかちゃんと書きたいです。
秋月黒田家は、本家より藤巴を散らす傾向があるように感じました。
我こそは、という本家への対抗意識だったのかもしれません。

それから城跡やら菩提寺(歴代藩主のお墓もシンプルで、お花も供えてなくて、
伊達家ほどではないにしろ、いろんな既知のお墓と比べて切なく…)やら
橋やらを見ました。小京都と呼ばれてる街はいくつか行ったことありますけど、
ここまでさびれてる小京都は初めてだったかも。いや、観光客はいるんですよちらほら。
帰りのバスもおそらく中国系の人と一緒でしたし。でも…明治時代はまだ
人がたくさんいたのに、士族の反乱で一挙に求心力をなくしたという話が
悲しく聞こえました。今は、やはり交通網こそが街の生命線なのでしょうか。

さびれてると言えば…いや、さびれてるというと語弊があるのか、
お金かけて整備しただろうにバスターミナルとか、でも佐賀駅で1時間潰すのに
苦労するとは思いませんでした。なんでお店ないの…ミスドとロッテリアの二択…。
空港へのシャトルバスにはwifiが飛んでて(空港には何もないけど!)
weiboのアカウントが掲示されてたりして、いまや東アジアからの人と
その人たちがもたらす金こそが重要なのだと痛感させられました。

そして、2週間後にはまた福岡へ飛ぶのです!(自爆)

2017.1.10 wrote


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