Land of Riches


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 2008年10月16日(木)   ペリドット 

長い乗車時間は寝ていればあっという間に過ぎていくが、寝ているだけでは
決して“家”には帰れない。自分の足で家まで歩いて帰らねばならない。
それは、自身が望んだ人生であり、また自分にとって人生の大きなテーマでもあります。

帰りたくなる家が欲しいのに、10年以上経ってもまだ見つからない。

「私の友達の友達」は私の友達ではないこと。
私の友達Aと私の友達Bは友達ではなく、むしろ不仲かもしれないこと。
近頃の私を悩ませる事象の少なからずは、この“常識”に起因しています。

友達Aは誰と仲良くて、誰と仲悪くて、何が好きで、何が嫌いで。
友達Bは誰と仲良くて、誰と仲悪くて、何が好きで、何が嫌いで。

日頃の付き合いで、いろんな情報を仕入れなければいけないのです。
あまりおおっぴらに語られる面でないものは、じっくりと見極めないと。
聞く力、読み取る力が求められます。

そして脳内に、友達A、友達B、友達C…と人間関係図を叩き込まなきゃいけません。
それが間違っていたりすると、実際に対面した時、相手を不快にさせてしまいます。

ただ…最近、掌を見るたびに自分の加齢を実感するのですが(手は嘘をつかない、
明らかに若い頃の肌とは違う)リレーションマップを広げられる限界が
狭くなっているようにも感じているのです。うまく点と点を結べないというか。

何より憂鬱なのは、それが単なる人間観察の産物たる興味深い記録ではなく、
図のどこかに必ず自分を置かなきゃいけないところです。Aからはこのくらい、
Bからはこのくらい離れたポイントにいて、Aにはこんな風に接し、Bには、みたいな。

自分の置き場が必須条件でなければ。
つい、そう楽な方向へ考えてしまうから、孤独が一番楽、って結論に達して。

孤独は、最も楽だけれども、同時に、最も過酷な生き方。

なんで、そういう関係構築が、自然にというか、本能的に処理できる人間に
成長しなかったのか…悔やまれます。学校では国語や算数や理科、社会などを
習ったわけですが、ついに「友達の作り方」は学べませんでした。

相手の役に立てたら、相手は自分を良く思ってくれるのだろうか?
この歳になって、いまだ、そんな幻想に囚われている心地がします。

気がつけば木曜です。明日の夜は、もう土曜の試合へ向けて準備せねばなりません。
哀しいかな、試合が、1週間の中で…というか、生きていて一番楽しみな時間です。

いつも言ってますけど、試合って、基本的に、他人事、なんですよ。
最近すごく思うんです。私がサッカーの面白さを理解できないのは、
おそらく、ボールを蹴った経験がほぼゼロに等しいから。

類推共感能力の限界。もともとあまりに低いそれの。


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