Land of Riches


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 2004年05月31日(月)   閉鎖へのワンクリック 

さっきから何か物音がするな…と思ったら、持ち込まれた目覚ましの秒針でした。
(閉じられてるとファンデのコンパクトか何かに見えますよ…開けておこうかな(内輪ネタ))
規則正しく時を刻む音、それは人生のカウントダウンそのものでもある―だから
私は秒針が連続的に回る時計じゃないと使えないのです。腕時計でも(しないですけど)

ネタが自爆であれなんであれ、声を出して笑えるのは幸せだし、良いことです。
自分がどれだけマイナス思考というか心配性なのかというと、今朝、二度目に
目が覚めた時、見た夢が、強風で干してある洗濯物が全部地面に散乱している
(うちは1Fではありません)夢だったぐらい。なぜか干してある物が全部
青い代表系のウェアだったのは、昨夜の余韻でしょう。一度目も、もう忘れたけど、
確か「玉田」関連だった記憶が。彼である必要性が全くない…そんな話を
今朝、某さんへした覚えがうっすらとあります。本当に記憶力が悪くて、
アイスランド戦のゴールシーンでさえ、もうはっきりとは思い出せないんですけど。

…フル代表はどうでもいいとか言いながら、タマタマってうるさかったな、私。
たまに映るベンチの“背景”へ目を凝らす労力が省かれたのは、きっと良いことなんだ。

実際、洗濯物は、タオルが1枚と靴下が片足、ベランダへ落ちていただけでした。

昨日一日横になってたから、起き上がると世界が回転する…ならまだ分かるけど、
横になって眠ろうとしている最中でさえ、頭の中=思考?がぐるぐるして
吐き気がするのです。今日は行かなければいけない場所があるのに…。

以下2つ、引用するのも気分悪いので、リンクだけ。
柏・池谷監督 試練の5番勝負
ダメ柏に星野イズム!小野寺社長がゲキ
忘れることは人間の重要な能力の一つだけれど、過去の過ちから学習するのも
人間の力のはず。いや、学習なら人間でない高等動物だってするような。

永田さんは昨日サッカー教室に借り出されたらしいです(「半分欠けた月」様より)
負けた翌日のランニングで、茂原さんの話術に笑顔を見せるのを見て、理屈抜きで
喜んでしまう私には、何か正論といえそうなものを吐く資格はなさそうです。
永田さんはお父様が指導者だからサッカーを始めました。…そんなこと思い出したり。

次はカシマなのに、敬遠しようとしている、観戦を拒もうとしている自分がいる。

ああ、やっと言葉が見つかった…その笑顔は、サッカーが好きだから。サッカーが。
これだ…この言葉なら自分の波を鎮めることができる。うん。好きなことを
仕事にし、それを見せることで、魅せることでお金を稼いでいるんだから。

誰かの分まで…みんなの分まで、夢とか希望を背負って。だから、もどかしい。
私が永田さんの笑顔に感情を重ね合わせるように、永田さんも過去の自分の映し身に。

エチカでも読み直そう。

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定理16
ある物が、精神を喜びあるいは悲しみに刺激するのを常とする対象に多少類似すると
我々が表象するということだけのことからして、その物がその対象と類似する点が
そうした感情の起成原因でなくても、我々はその物を愛しあるいは憎むであろう。


汗がだらだら流れ落ちてて、本来タイプしているどころじゃないんですけど、
人様の日記を読んでいたら思い出せたので、忘れないうちに記しておかねば。

きっかけは昨夜の久保さんのトラップが人間の通常的なもの…予測範囲を
軽く逸脱していた(彼の場合はそれがスタンダードなのですが)ことだったはず。
トラップの話題になりました。最近LRでは菅沼さんの胸トラップへ溺れるのに比べ
足でのそれが同レベルでないことを嘆く記述がしばしばありますけど、それは
私よりも古くから菅沼さんを見ているSさんには分からないと言うのです。

…たまたま、最近足でのトラップをミスする場面が多いのかもしれない、
胸よりも足でのトラップは、よりチャレンジを求められるシーンなのかもしれない、
それは分からない、胸>足というのは私の思い込みであって、根拠はありません。

それで、Sさんの好きな根本さんのクロスが批判される話になって、私は
根本さんのプレーに対する認識を持たない(新婚家庭へお邪魔するのが好きだとか
どうでもいいことを結構知っている割に)ことが分かりました。それは、Sさんが
祐三さんの部屋の写真を知っていても、プレーを知らないようなものだと。

クロス―相馬さんのクロス、昔は綺麗だと感じていたけれど、今となっては
その速度が緩やかだと叩かれたのも分かります。でも、市川さんのクロスあたりは
形容する言葉がありません。イメージといった方がいいのか。さすがに、
ベッカムレベルともなれば、美しいクロスと躊躇なく表現できますけど。

選手は、いろいろなプレーをします。当たり前ですが。でも、それを認識できるかは
見る側の個々人によります。羽田さんと出会うまでディフェンスの醍醐味を
まるで理解できなかった私ですから、もしかすると、今なら、須藤ジャパン時代に
教えてもらった藤井くん@磐田ユースの「100種類のトラップを持つ男」という
異名の意味も理解…実感できるかもしれません。選手それぞれのトラップを
論ずる以前に、そもそもトラップというプレーをちゃんと見てないっぽくて。

小野さんのトラップが吸盤へ吸い付くようにと評されたのはさすがに分かる、
平瀬さんのトラップを見てその大きさに苛立つのも分かる…それは極端な例。
でも、石川直宏さんの大きすぎる胸トラップに足の速さで追いつく、というのは
言われるまで気付かなかったです。そう、ボディシェイプという言葉ができるまで、
アイコンタクトという言葉が定着するまで、その概念自体がなかったように。

自分の目を通して見た“もの”だけでは気付けないことがたくさんある、
だからサッカー語りは楽しいのかもしれない。互いに妥協を知らずとも。

Sさんに言わせると、野沢さんはトラップがめちゃくちゃうまいらしいんですが、
私にはそのイメージはかけらもありません。私が持つ野沢さんのイメージは、
決定的なパスを出した後、その軌跡を、追う人=パスの出し先(根本さん!)を
悪い言い方すると自分へ酔ったように悠然と眺めている、歩いている姿だったり。

フリエが消滅した時、人が一つのクラブへ委ねている感情は、いかに多様かと
知りました。そのイメージを全て受け入れうる器はフリューゲルスという名だけなのだと。

だから、たとえば永田充という選手に持っているイメージは、言うまでもなく
人によって違う…守備がうまいと思っている人もいれば下手だと思っている人もいる、
頼もしいと感じている人もいれば、見てられないと感じている人もいる、はず。

私が好きなのは、私の目が見た永田さん。当たり前。それは他の誰かが見た
永田さんではないです。他の誰かが見た永田さん…を綴った文章や、写した写真で
何かを感じるのは私であって、私の中にあるイメージが補強されるだけ。

イメージのズレを前提にして、語り合うこと。ただの点の集合体でしかない
文字の連環から想起されるイメージの、若干のギャップ。それが文章表現の
もどかしいところであり(視覚や聴覚、嗅覚などを直接刺激するわけではない)
逆に、可能性を持つ面でもあります。まあ、“あれ”なんて表現は自己完結の
極みだと思いますけど(笑)―と、後で読み返したら絶対自分自身でも
分からなそうなオチをつけて、今日のLRはオシマイ。オシマイになる、かな?(笑)

…すごい肝心なことを書くのを忘れていた、そうやっていろんなイメージを
選手に対して持つけど、選手自身がウリとしている部分を認識できると嬉しいです。
初めて祐三さんとお話しした日に、1対1を褒めたらすごい喜んでくれたように。

やっぱり、サッカー見るのって楽しいですね。辛いこともたくさんありますけど(苦笑)

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今の私には…心身とも崩壊寸前の私には、1日は長すぎます。いつも思います、
空気や風みたいになれたらって。他の人の目には見えず、私からは大切な人が見える。

でも、それって淋しいことなんでしょうね。昔、恭平さんがアンケートで
透明人間になったらって質問へ、そんな理由でなりたくないと答えたのを思い出します。

へこんだり浮いたり沈んだり落ち込んだり不安になったり動揺したり、そんな毎日。


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