Land of Riches


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 2004年05月16日(日)   薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー) 

2004.5.15―10年目の決戦。そのキャッチコピーはまるで笑い話だけど、
私にとっては試練というか拷問のような、時の流れへ身を投げ出された思いがしました。

国立のスコアボードでたなびく鹿島と柏の旗を見た時、それが過去/現在と
分別できました。そしてアフラックダックの応募用紙をプリントアウトするために
ネットカフェへ行き、久々にHUNTER×HUNTERを読んだ余韻か、浮かんできたのが
タイトルの言葉でした。包まれた“もの”と包んだ“もの”が何かは、もはや
言うまでもなく―嘘か真かの境界を彷徨っているんだと理性は本能をつきつけられ、
愕然としながら某さんと合流しました。初めてオークションで競り落としたいと
感じる品物が出てきたから。右肩のナンバリング、No.2は私がこの街への
引っ越しを考え始めたその日に“彼”が着ていた記憶をしかと持っているもの。

#今、「東京」をBGMにして打ってるんですが、やっぱり2曲目は途中までしか!!

私はレイソルサポじゃなくて永田ファン。だから批判(たとえ理にかなっていても)されて
キレるのは柏レイソルというチームではなく永田充というフットボーラー。
それはもう、理屈を超越した真理。いや心理。某さんが受け取ってくれなかった
カードがテーブルに転がってますけど、何が辛いって、彼の辛い顔ばかりが
連想されること。試合後、本山さんと話していた姿を見て、本山さんも、
フル代表で酷い仕打ちを受けた仲間(←あくまで私の中で)だからね…と
ここ半年あまりの様々な出来事が走馬灯のように駆け抜けて、辛かったです。

レイソルの試合内容―私がサッカーの試合に対して一番求めている要素を
期待できないのは分かっていたのですが、アントラーズまでは分かりませんでした。
増田誓志&野沢拓也+本山雅志へ向けた勝手な期待も虚しく、二列目の二人は
存在感がないというか、試合へ干渉しようとする意欲が乏しいというか、
あまり網膜へも映らぬまま時間が流れていきました。動かないMFは、逆に、
周囲を自らのペースへ巻き込んでいってゲームメイクをするものなのですが。

仮眠までして行ったのに、眠くて眠くて、だるくて、最上段なのをよいことに
しばしば横にまでなってました。90度ずれた視野では選手やボールの遠近が
全く把握できず、誰が誰かさえ分からず、スコアボードは見えないから
(開始直前までアウェー側にいついていて、ミョンボ様の映像などは
しっかり見たのですが)何度も携帯の時計を確認するのですが、全く増えない数字に
イライラさせられました。ボミオス@DQでもくらったかのような緩やかな時間の流れ。

そして、私は、自分が、内容などどうでもよく、とっとと90分が終了し、
その時勝利を得ていることを望んでいるのに気づくのです。自らのポリシーへ反し。

点の取れる気がしないのは、攻撃のパターンなど存在しないのは、それこそ
2月の頃から分かりきっていたこと。あれから何一つ変わってはいません。
最後に勝った1969戦の永田さんのゴールだって、セットプレーだった…。

オフェンスは諦めてました、監督もタッチライン際にへばりついて、サブの選手へ
目もくれなかった(そんな光景は対戦相手の監督がよく見せてくれたから
耐性がありすぎます。菅沼さんは一生懸命アップしていたけど)から、今いる
攻撃陣と…決定力のないメンバーと心中するしかないんだと思ってました。

だから、完封して、せめて、勝ち点1をもぎ取って欲しかった―その願いは、
ロスタイム突入あたりまで、危なっかしいながらも、叶う可能性が多分にあったのです。

奔走する二人の守備的MF、レイソルの悪しきカラーに染まっていない右の波戸さん。
不慣れな位置を、ディフェンシブながらこなし続ける左の近藤さん@膝痛もち。
近藤さんと永田さんがかぶったあの時から、不安は胸を埋め尽くしていました。

だけど…早く終われと横になりながらぼやき続けていた私の意識を、魂を
揺り起こしたのは、後半開始直前、ゴール前で、軽くシェイクハンドする
20番と5番でした。その背中。その二本の腕。手を取り合う行為に対し、
並々ならぬ憧憬を抱く(特にこの荒れた皮膚になってから)私にとって、
下にある「完全封鎖」アイコンが手をつないでいることは、深い意味を持つのです。

それは意思。それは連携。それは信頼。それは団結。それは協調。それは任務。
永田さんの右手と聡太さんの左手が重なって、ようやく目が覚めました。
副キャプテンの勝利に対する強い希求は、時折見られた彼にしてはハードな
チェックと、何より、ものすごい勢いで高くしているラインの位置に現れていました。
昨日のラインの高さは半端じゃなかった…聡太さんも永田さんも上げてました。
コンパクトな、人がうじゃうじゃと接近するピッチに、意思を感じました。

闘っている、彼なりに最善と信じる方法で、勝つために、勝利を得るために。

時間と共にほころびは大きくなっていった、それは残念ながら事実…だけれど、
私は彼ら“二人”―私の心の奥底へ積もった根雪から違った形で切り出された
センターバックたちの意思が嬉しくて、見とれてました。それが現実であることに。

一人は外なる形、もう一人は内なる魂。左に控える近藤さんと3人で、未来を担う定めの。
…時間の流れは、電車の最後尾から後ろを見つめるのに似ているという、
過ぎ去る景色の“量”ばかりが増え、古いものはどんどん遠ざかっていくと。
そして、前に何があるかは分からないと。ちょうど国立のホーム側最上段にいたので、
そんな気分で国立全体を眺めてました。エンジ色、いくつかの耳慣れた…ほんの少し前、
自分が実際に声出しもしていたコールの数々。アントラーズ、それは少なくとも
昨日の私にとっては過去の揺り起こしだったのです。それに心身をかきむしられて。

あの二人が手を取ったのが嬉しかったのなら、それで生き返ったのなら、
そこが私が今立っている地点―現在なのです。少なくとも昨日の時点では。

後半は前半と同じ45分とは思えないぐらい早かったです。どちらのチームも
あまり点が入るとは思えなかったけれど。だから、ロスタイムには放心しました。

ホイッスルの後、崩れ落ちた聡太さんや、引き揚げる時泣いていた近藤さんが
今でもまぶたに焼き付いています。久しぶりに、悔しいという感情に身を焼かれました。
そう、そのレベルまで、感性が高くなったのです。前節はそれすら感じなかった…。

今日サテの試合が組まれてますが、行けるか分かりません。自信ないです。
今の、この瞬間の私にできるのは、昨日感じたことを記し残すことだけなのです。

どうしようもなく好きなのは、やっぱり20番(5番でもなく)なんですよ。
なんて当然の結論なんでしょう。たとえそれが“再現された質感”であったとしても。

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2002年レイソルが残留争いした時も、ものすごい連敗してますけど、あの時は
永田さん、スタンドで俺を使わないぐらいなら負けろと思っていた時期で、
運命の9月以降、彼がメシアとなって立ち直ったので、私自身は経験ないんです。
昨年のサンガだって、私が見に行った強豪相手の試合はめちゃくちゃ強かったし(苦笑)

永田(J'sGoal)
「4バックに変わってからDF面では3バックの時より安定するようになったと思います。
波戸さんと近藤がそんなにあがることもないので、カウンターをくらっても、そう乱れることはない。
一人が1対1になっているときも、その横からカバーできるので。
とにかく引き分け…とかじゃなくて、どうしても勝ちたかった。どうしても勝ち点3が欲しい」

中澤(レイソル公式)
「辛い。少しでも『鹿島といい試合ができた』などと満足していたら、次につながらない。
今僕らに必要なのは勝利。下を向かずに、次こそ勝ちたい」

一番動悸が激しくなったのは、失点直後でしたからね…(微笑)

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眠いです。疲れてます。何かするにも普通の人の何倍ものエナジーが必要なのが
鬱の一症状とはいえ、90分試合を見続けることができないのは、サッカー観戦が
趣味の人間としては相当こたえます。今日のサテライトは久々に熱くなれる
グッドゲームだったのに…なぜそんな内容でも時計が早く回ることだけを
祈らなければならないのか、悲しくなりました。虚しくもなりました。
このLR打つのも残したいことの何割書き残せるかって感じますし、更新なんて尚更無理。

猛烈に咳き込んで、膝に手を突いて、視界がぐらぐらして、もうその手の現象にも
慣れつつあるのが我ながら哀れなのだけれど―菅沼さんが胸でトラップして
すかさず反転し、ループシュート、それがバーに当たった時、前々から
密に思い続けていることだけど、神様がいっそこの瞬間に…恍惚と興奮と
自失と酩酊の只中にある魂を奪ってくれれば、と思いました。望みは、解放。

今日は雨でした。本降りになったのは会場であるランドへ着いてからだったので、
折り畳み傘をさしてました。ナイキカップでもIさんに語って、よく覚えてますね、と
感心というか呆れられたのだけど、2つ持っている折り畳みのうち、同じのばかり
使い続けるのは、それが昨年の3月、ヤマスタへサテライトを見に行った時に、
浜松の駅ビルで買った想い出の品だからです―つまり、私が菅沼さんへ一目惚れした日。

降りしきる雨の中、ヘッジホッグのような黒髪を濡らし、隙のないトラップから
素早くフィニッシュまで持ち込むモーション―今日の、19歳の誕生日を迎えた
菅沼さんは、電光石火の2得点で私の人生を狂わせた(あの時点で菅沼さんが
トップの選手だったら、たとえば全クラやナイキは無縁の世界だったでしょう)
雨の磐田の記憶と重なりました。私は、快い記憶の反復を好む者。CKからこぼれた球を
左サイドの角度のないところからサイドネットへ叩き込んだ鮮やかな一撃、
私がマルイで何時間かかっても、彼自身をそれ以上喜ばせるものは見つからなかったです。

菅沼さんの機敏な動き、一つ一つが、快感で―見れば見るほど、のめりこんでいく。

今日のサテは、みんなすごく声が出てたと思います、両チームとも。だから、
レイソルがあんなに声を出していたのを聞くのは久々なような。小峯さんあたりは
いつも通りにしても、大谷さんも石川さんも平山さんも宇野沢さんも菅沼さんも、
とにかく、みんなみんな。ランドはピッチが近いから、人と人とボールが
擦れ合う音がものすごく響くのですが、試合の流れを作ろうとしたり
引き戻そうとしたりする大声だけでなく、アウトオブプレーには真剣に
意見交換をして修正しようとする光景にじーんとしました。それは、勝利への
欲求の一つの表現。全員がめちゃくちゃかっこよく見えました。菅沼さんはその中でも。

勝ちたいと願うこと、それは当たり前、でもそれを強く持ち、発散し続けるのは案外難しい。

菅沼さんは昨日ベンチ入りしていたから、サテに出るか分からなくて、
それを知るためだけにトップの練習にも顔を出しました。さすがにちょっと
ランニングして終了でしたけど。最近、参加メンバーを書くたびに間違っているので
だんだん自信がなくなってきて何も書けないのですが、走りながら玉田さんは
鈴木亜美嬢のこと、南さんは勝つことについて話していたような覚えがあります。
あと、手締めした後にみんなで給水している時、聡太さんが何かジェスチャーで
みんなを笑わせていたこと…この時ぐらいしか笑顔なんてなかったですよ。

永田さんにちょっと話がしたくて、でも先客が長そうだったので、横に来た
玉田さんに初めて(!)サインをもらいました。玉田さんが点を取ってくれないと
勝てないんで取って下さい―それは偽らざる本音。叫びともいうべき。
玉田さんがその一瞬だけ笑ってくれたのが、嬉しかったです。玉田さんの魅力の一つは
少年のような素直な喜怒哀楽の表現。だから、私は玉田さんの笑顔も見たいのです。

ラインのことを聞いたのですよ。新潟戦以来、ずるずる下がり続けてたのが、
まただんだん高くなってきたように素人には見えたから。でも、私が愚かでした。

「全員すごかったんで」

勝利を求めて懸命だったのは永田さんだけじゃないんです。私がレイソルサポでなく
ただの永田ファンだと主張し、永田さん中心でレイソルを見るのは勝手です。
だけど、永田さんはレイソルの一員…レギュラー、副キャプテンなのですから!

今日の永田さんには、鈍器で頭を何度も殴られた心地がしました。悪いのは私ですが。
私は心を病んでしまっているから、人並み以上に視野も許容量も小さすぎるんです。

間違っている時に、間違っていると言ってくれる友人がいるのは幸せです。
Sさん、Kさん、いつもありがとうございます…一つの言葉、一つの仕草、
その解釈はいかようにもできる、でも私は、より“正しい”人でありたいです。

自分が見たり聞いたりしたものは、何よりも信用できる、でも正しいとは限らない。

レイソルを見るか見ないか、どちらが最善のチョイスかは分かりません。
見ても見なくても、ほとんど間違いなくマイナスの波及をもたらす―私は、
ちょっと電車に乗って移動するだけでも体にガタが来るような奴なのですから。

幻覚でもいい、嫌われたくはない、ただ私と好きな人たちが幸せであってほしい、
いずれ消えゆく定めのこの命が害しか及ばさないなら、いっそ奪ってほしい。

昔より、欲する幸福は、明らかにコンパクトになったから。泣きたい時は泣きたいとか。


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