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swiftという単語から85年組を思い浮かべ、その4人から四大元素を連想した 唐突に思い立って、鹿島のクラブハウスへ行ってきました。都内にいた時点で 今にも降り出しそうな空だったのに、買おうか迷いながらも、傘を持たずに バスへ乗り込みました。ちょうど練習開始時刻ぐらいに到着したのですが、 外にいるのは中田浩二さんだけ。心が曇りました…自分でははっきりと 意識はしてなかったけど、私は間違いなく羽田さんが見たくて足を運んだのです。 ぱらぱらと雨がちらついてきたので、諦めて近くもないコンビニまで ビニール傘を買いに歩きました。30分近くを費やし、ピッチではなく反対側の マシンルームをのぞいてみました。珍しく、3枚も窓が開いていたのです。 ちらっとのぞいて、すぐに開いていた理由が分かりました。全員集合ではないかと 思えるぐらいの人口密度…新井場さんや小笠原さんの姿が見えました。 他の見学者は、結局、50分近く浩二さん一人を雨の中見ていたわけです。 コーンやポールの間を駆け抜けると、ぐさぐさとポールが刺されたピッチの 4分の1程度に集まってミニゲーム…と呼べるのか、二組でボールの奪い合い。 プレスのかけ方の確認でしょうか。その後、片側の両コーナーに分かれて、 少し下がった位置でボールを受け、右から左(逆側より左から右)へ走りながら シュートを打つ練習。試合では、必ずしも理想的な体勢からシュートを 打てると限りませんし。小笠原さんがゴールを決めた選手に拍手を送っていたのが 目に付きました。キャプテンとなって周りを見るようになったと強く感じます。 あと、野沢さんの背負う空気というか、漂わせるオーラが柔らかくなったように 感じました、心なしか。昨年はもっと刺々しかったような。境遇の変化を知る 私の目にフィルタがかかっている可能性ももちろんありますけど、青木さんの 常に緊張したような固い空気との対比が、より強く感じられたのです。 ちょっとしたインターバルにも、頭へボールを乗せてみたり、ボールとじゃれあう 姿なんかにも余裕が見えました。自分がするサッカーに自信もついてきたのでしょうか…。 若手(無理やりカテゴライズすると、この表現)以外は、これであがりでした。 続いてポストプレーの練習。各自クサビとなって、ボランチ(例:青木さん)から 入ったボールをサイド(例:大谷さん)へ戻す、あるいはサイドから入ったボールを ボランチへ返す、これの繰り返し。ゲームでは間に当然相手選手がいますから、 それを想定して速いボールを返すように何度も注意が飛びます。最初は マーカーなし、次は形だけのマーカーがつき、最後にマーカーのチェックが 入りながらでも後ろへ戻せるように…と。ちなみにマーカーを務めるのは セレーゾ監督と奥野コーチですから、かき出そうとする足つきも本格的です。 更に、二人のマークを外して反転してシュートを打つ練習―ハードマークに 康平さんあたりはシュートまで持っていけないこともしばしば。大抵の選手は それでも足元で持とうとするんですが、野沢さんだけは自分から…そして マーカーからも離れた位置でぴたっとキープできる(他の選手は足元すぐでも ボールは不安定)ので、さすがだな、と感心しながら見てました。アテネ世代が 上がってもセレーゾは誓志さんたちのシュート練習に最後まで付き合って (あれは選手の居残りというか練習の一環と呼んだ方がいいのか)いて、 なんて熱心な、サッカーの好きな監督なんだと思いました。レイソルでも 居残りしている人はいるけど、あくまで自分が一人でやっている感じなので。 鹿ガーデンに「ボンバー深井」というメニューができたのは知っていたんですが、 口にするのが恥ずかしくてオーダーできませんでした(死)チーズ味と キャラメル味があるんですけど、圧倒的に前者が人気でした。本山スペシャルは オーダーするのに恥ずかしかったことはないんですけど、なんででしょう? 出待ちは全くしなかったんですが…何度もしつこくマシンルームをのぞいて、 そして見学席へ戻るなんてのを繰り返して、この喪失感が嫌で、どうしても アントラーズを避けてしまったんだと改めて感じました。ターゲットが、 移籍していなくなったわけでもないところが、また辛さを増すというか。 私は弱くてずるい生き物だと思いました。“彼”は逃げるわけにはいかないのに。 Secont half wrote on 2004-04-03
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