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孤独が体と心を蝕んでいく―もはや何が哀しみかも分からないままに。 那須に初の駒大「学長特別賞」(報知) ご卒業おめでとうございます。自分らしい生き方を貫いている人は素敵です。 どうせ頑固になるなら、このくらいの強さが欲しいな、と思ってみたり(微笑) 人間の感覚は各自固有、一致しないのは百も承知だけど、それでもせめて 思うことは人によって違うことと、自分が言うことは“せめて”自分だけでも 守ること…説得力を持たせたいな、と思いました。たとえば…雨の日は、 選手と長く話をしないようにしましょう、って言うのは簡単ですけど、 それを守ることが簡単かどうかは人によって違う(必死な思いで来た人へ、 今日は雨だから声をかけるのはやめましょうね、とは私には言えない)し、 少なくとも、そう主張するなら自分は率先して選手を守らないと。 人間は自分の評価が甘くなる、と日立台で読んでいた本(翼のある言葉)いも 書いてありました。紅白戦の前は待ち時間が長いと分かってきたので本持参(笑) 正義は私情―自分が正しいと思ったことは正しい、ただし、それは自分だけにとって。 だって、しょうがないじゃないか! 控えDFがどうしてるかなんて、 誰も教えてくれないんだから! 自分の目で見に行くしかないじゃないか!! 約24時間ぶりにおなかいっぱいものを食べて、地上に出た時、日が差していて、 空が青いのを確かめた瞬間、ここ数日気分がふさぎがちだったのは、日の光を 浴びてないからだと悟りました。洗濯物が乾く乾かないという実利とは別に。 普通の鬱病は夜になると気分が楽になるけど、今の私は闇を恐れています。 夜は眠りにつかねばならない時間。普通の人は休み、ゆえに孤独が色濃くなる時間帯。 当たり前のようにこの街に暮らしている自分がいる―○△×□支店、1日分の 収入を返しやがれと悪態をつきつつ、それでも日立台へ足を運べてしまう自分、 昨日Mさんに「(日立台が近くて)うらやましいですね」と言われて、その感覚が 既に分かりにくくなった自分、HPタイトルの“感覚”が分からない自分がいるのです。 この街は、住んでみると案外レイソルとは関係ないことが分かる―日立台へ 駆けつけないと非日常へは突入しない、その距離も住むには楽かもしれない、 でも寂しいのです。青い空の下で、東口ハウディーモールの街灯についている 垂れ幕が“柏レイソルを応援しています”という黄色いものに差し替えられるのを 現在進行形で見つつ、それが嬉しいと思ってしまう自分も確かにいるのです。 何もかもが分からなくなる―練習場で、声をかけなくても、なんとなく“HN”の 見当がついてしまう人もいる、それは良いことなのか否か。絶対数の少なさ。 某K選手と目が合うと震え上がる、それは自分に後ろめたさがあるから。 自分のためだと言い聞かせつつ、練習では誰がどこにいるか把握しないと 不安に…やるべきことをやってないような気がしてしまうのです。もしも 本当に自分のためならば、ぱっと見て分からない選手には多分見る必要など ないのです。誰のために、何のために? たとえば今日だって、平山さんの 一挙手一投足を丹念に観察していたけど、それは自分のためじゃないのです。 私は、その情報をさして欲してはいない…でも、誰か、そう誰かは、それを書いたら 喜んでくれるんじゃないかと考えている自分がいるのです。認められたくて。 この世で一番嫌いなものは自分、一番愛しいのも自分。 初めて会う人―人見知りする理由が分かりました。何を話していいのか 分からないのです。相手の好きなもの・嫌いなもの=何を話せば喜んで、 何を話すと不快になるかが分からないから。向こうが私をどれだけ知っているかも 分からないから、自分のこともどれだけ話していいのか分からないのです。 相手の嫌なものには触れちゃいけない、知っていることを話さないといけない。 そう命じるものが内にあるのです。それは同時に、自分の中にある、自分の 好きな対象に対する好意を守るためでもあります。自分の好きなものを 否定されるのはイヤ―「知らない」程度ならまだいいのです。否定されたら、 嫌われたら。そうやって必死に計算しているのです。だから、自分が把握している 相手の好きなものに関する情報に狂いがあると、焦ってしまうのです。 私は、自分の色を消してしまいたいんだろうか…空気になりたいんだろうか。 ジュビロは、私の中で遠いものになりつつあるけど、それでもまだ確かに 私の中に想いはある、でも、それを肯定してくれる人は近くにいなくなってしまった、 自業自得だけど。いつもそう、相手に合わせなきゃ、合わせきれないにしても。 繰り返し繰り返し。そして自分を見失っていきます。しょうがないから、HPで 好きなものを好きと叫ぶ、不特定多数という空気に向かって叫ぶのです。 なんで、もっと自信を持って好きなものを好きと、いいものはいいと言えないのだろう? 自分の目、自分の想いを主張できないんだろう? こんな場でばかり綴って。 かまってほしいんだろうか、そのために自分をまげて消して。 強くなりたいです。心の強さ、それとしなやかさ。それでいて、自分の存在が 他の人に少しでもプラスになっていてほしいという、消せない本能的欲望。 愛しい人の言葉で覚えているのも、褒めてもらった言葉ばかりだもんなあ…。 幼い頃褒めてもらえなかったからかもしれません。怒られもしなかったけど。 かまってもらえなかった―自由と書くと美しいけど。お前はシンジか、って感じです。 自分で自分を肯定できるといいのに、それができないんです。他者評価に依存して。 本当に何度も何度も書いてるけど、独りじゃ生きられない、でも独りで 生きていかなきゃいけないのが辛いです。生きるって、なんでこんなに辛いんだろう…。 女神なんてなれないまま 私は生きる ハンゲキヲカイシセヨ。 FREAKS羽田さんインタビュー―久しぶりですね、記事載るの。昨夏以来? あの頃も上向きだって言われてて、一日店長楽しみにしてたのに…いや、 過ぎたことはもういいですね。歯に物の詰まったような物言いとはいえど、 羽田さんの口から五輪代表のこととか聞けて良かったですよ。ああ、彼は 五輪代表をそうやって見てるんだ、私もそれを前提としてU-23を見てもいいんだ、と。 急いでなんて、口が裂けても言いません。たとえ本人がそう思っていても。 ただ、私は、私が願うのは…前を見て生きてほしい。言う資格ないかもしれないけど。 ボール蹴っているの見たら泣くと思ってたのに、泣けなかった私だけど。 私は絶対に、あの夏まで、羽田さんが与えてくれたたくさんたっくさんの記憶、 それは楽しくもあり甘酸っぱくもあり、時に辛い(あのオウンゴールとか…)ものも あったりしたけど、それは羽田さんを見ていたから味わえたんだということを 忘れません。特に、あの頃の自分は精神的にどん底にあったから。私は 緩やかに上を向いて歩きつつある、だから、羽田さんが苦しんでいるんだとしたら どうにか手を差し伸べてあげたいと思ってます。実際…できてないんですけど(吐息) センターバックやラインコントロールやインターセプトに固執した見方をする、 し続ける、それが恩返しといえるのかも分からない…きっと独善なんだろうな、これ。 でも、だけど、本当に、間違いなく…羽田さんと出会えてなかったら、 永田さんのラインコントロールも祐三さんのボール奪取も理解できなかったんだから。 でもね、でもね、でもね…日本サッカー界が進歩して、組織が整備されて 素晴らしいディフェンダーはいっぱいいっぱいいて、たくさんの選手と出会えて、 私はそれなりに楽しいサッカー観戦生活を送ってるけど、5秒先を生きてるような、 ありえない位置取りをする…予知能力に基づいたような読みをする選手は 羽田さんしかいないんだよ、まだ。無茶な頼みとは分かってるけど、あたしは もう一度あの冴え渡る読みを見たい。その読みに予測を裏切られた快感を味わいたい。 だから、待ってる、ずっと、ずっと、いつまでも。 …にしても、昼寝をしても夜すぐに眠りにつけるなんて羨ましいです(真剣) 骨が動く(うまい表現が見つからない…背が伸びたりするの)のは寝てる間だって 聞いたことがあるから、それでいいのかな。そういえば彼、巨人ファンですよね(笑) …まだ書き足らないのか自分(呆) この際だから全部書いてしまいましょう。ここ最近、ことあるごとに聡太さんへ こだわっているのは、永田さんがレギュラーなのに安心しきっているという 無意識のとんでもない甘え(デビューした年は、ずっとずっと、いつ外されるかと びくびくしてたのに…)もありますが、聡太さんもまた、不条理(これもあえて書く!!)な 負傷に苦しんできたからです。だから、これも何回か書いてますけど、彼が 野球場をランニングしている姿を見るのが苦手なんです。フラッシュバックあるから。 試合に出れそうだと機嫌がよく、出れなさそうだと不機嫌な聡太さんを見て、 その浮き沈みが彼らしいと思うと同時に、昨年の夏ごろには、ネット上での 俊太さん叩きを見て、彼はもっとできると思いつつ、それすら…叩かれる 資格すら持たない聡太さんを思って悲しくなりました。だから、無事に フットボーラーとしてカムバックして、支えてくれてきた人への感謝を 口にしながらプレーできる彼のイキイキとした表情を見られるのが幸せなんです。 聡太さんと、聡太さんをずっと見守ってきたファンが、すっごい羨ましい。 これが本音。 選手の負傷に関してどのくらい過敏になったかといえば、先週練習へ行った時、 足首を捻挫した石川直樹さんが松葉杖ついて現れた時、混乱して壊れました。 プロ入りして桜の咲く前に負傷で長期離脱かって。幸い、彼は骨や筋を 破損したわけではなかったので、3週間で済みましたが、松葉杖をつく姿を見て また1000羽折ろうかと思ったのは事実です(3週間じゃ用意できないけどな、多分…) 肉体と肉体をぶつけ合うスポーツだから、負傷は(ものすごく大雑把に言うと) 確率論で発生するのは分かってるんです。でも、すっごい辛いです。それが、 たとえ誰であっても…全く知らない選手であっても。サッカーで傷める部位なんて みんな似たり寄ったりだから、リリースされる負傷程度を見て、その用語を見て、 なんとなく想像がついてしまうのです。今日、平山さんが練習後に並べた コーンの間をバックステップしてるのを見て、リカバーしてきたなって思いましたし。 それは…金古さんが靭帯をやった時に覚えた風景。 うん、だから強くなりたいんですよ。心を、心が。こう言うと、また、 中澤聡太はそんなメンタル強い人じゃないよって返されるのは見え見えですが(笑)
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