Land of Riches
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2003年11月24日(月) |
かしわ!ささぐ!ちとたましい! |
この応援の存在を初めて知った時、なんて言いようだ、と思ったのですが。
…何から書けばいいんですか?(苦笑)新宿から柏へネットカフェをハシゴした割に 全くサーフィンが出来なくて、今、必死になっていろいろ読んでいたところです。
本当に何から書けばいいのか分からない…印象に残ったとは思えないのに、濃い時間でした。 まず間違いなく言えるのは、鹿嶋も柏も遠すぎる―ぷらっとが取れなかった(自分が 働かなくなったので、世間のカレンダーを把握できなくなっているけれど、今は 3連休の真っ只中)ために、なんと「のぞみ」で往復したのですが、速いですよ。 いつも夜行だ、ぷらっとだとケチっている自分が虚しくなるほどに。購入時に金額を 知った瞬間もぶちきれましたが、こんなことをすると2回もへこまねばならぬのです。
なんたって、のぞみより、TDR渋滞に巻き込まれた鹿嶋へ/からのバスへ乗っていた 時間の方が長いのですから。距離はのぞみの方が4倍近くあるはずなのに。メチャクチャです。
私が前にカシマスタジアムへ足を運んだのは、自分でも呆れ返ってしまうのですが、 シドニー直前(羽田さんと野沢さんが出てた)のナビスコカップ・Fマリ戦で、 スタジアムがワールドカップ仕様に拡張されてから…茨城新聞がMDPらしきものを 発行するようになってからは、一度も訪れたことがなかったのです。鹿島ファンなのに。
赤い服を身につけた多くの人々の合間を縫うように3ゲートへ。ペットボトルのキャップを 差し出してから、誰も他にはいない階段を上り、黄色い服の列に並んでモツ煮の有無を 確認するものの、12時開門のため早々と売り切れたと告げられ、仕方なくケンタの 冷めたサンドをほおばりつつ、とてもかつて大切な場所だったのと同じスタジアムとは 思えない大きなスタンド―あの頃とはメインとバックも逆だ―をぼんやり眺めました。
時の流れは残酷すぎる―確かにかつて、自分はホーム側ゴール裏の雰囲気を厭い、 アウェー側の隅にあったサポシの上段へ行くことが多かった、けれども、スタジアムが 大きくなり、チケット争奪の心配が消え失せた後に、3ゲートを自ら望んで通る日が来るとは 思いもよりませんでした。そこで、私は最近FC東京へ“移籍”した友人が嘆いたのと 同じように、鹿島の応援を見せつけられ、いろいろと考えてしまったのです。 スポンサーが提供したビッグフラッグが何枚も現れる時間を気だるいと感じる自分。
カシマスタジアムといえば、張り詰めた空気―昔、私はそれがファンながら苦手だった。 アウェー育ちだからかもしれない、あのこじんまりした集団は怖くなかった、優しかった。
Sさんがアウェー側まで持ってきて下さったモツ煮と焼肉とデザートも、直接は受け取れず、 金網越しに係員の手を借りねばなりませんでした。アウェー側には存在しえない モツ煮を何故かほおばる私、黄色い服着たお兄さん達にジロジロ見られましたが、 あまりに前列へ陣取りすぎて―専用スタジアムへ行くとつい出来心が―スタンディングを 余儀なくされ、立ってしまった以上、黙っているわけにもいかず…今年、あれだけ 試合を見ているくせに、一度も参加したことのない応援へ、ついに、参加しました。
西京極だって、MDP中央の紫を広げて、“紫魂を表現する”決心を固めるまで、 少なからずの躊躇がありました。でも、8日にそれを乗り越えてしまったのは、 痛いまでに―こちらの胸まで痛むほど勝ち点へ執着した角田さんのため。ひとえに。
あの日とは違う、正直、菅沼くんが勝てないのは見えていた、それも、相手は鹿島。 仮にも…腐っても、鹿島。いろんな思いを積み重ねた当事者が、まさにそこにいるのに。 もちろん、柏のゴール裏で女声張り上げたって睨まれるだけですから、心ばかり、ですが。
お互いサテライトかと錯覚するような―サポがどちらも相手に知らない選手がいると 首をかしげるようなスタメンを並べながらも、小笠原&本山が強行出場した鹿島が 全てにおいて上で、二人による流れるようなパスワークが平瀬さんの1点目として 結実したにすぎません。他にも決定的なチャンスは幾度となくあり―平瀬さんが ゴールを決めた時、二人は駆け寄る前にはじけるような笑顔で抱き合っていて、 ああ、これが今の鹿島なんだと実感しました。二人と離脱した中田浩二さんの、鹿島。
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