Land of Riches


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 2003年11月25日(火)   NOT FOUND 

何を考えているか分からない、と言われる。どう言っていいのか分からない、とよく言う。

他の人は私ではない、それは絶望とほぼ同意語。話しても伝わらない。分かってもらえない。
そう諦めているように自分を思い込ませて、語るのをやめさせている。
頭の中は言葉と、言葉にならない雑多な感情―多くは不安や恐怖―でいつもいっぱいなのに。

たとえば菅沼のプレーについて語る。私は菅沼の過去(メニコンMVPとか)はよく知らない。
ただ、自分が見て受けた印象で話す。聞く場合は、知らなかったことは聞くしかなくて、
知っていること(同じ対象、たとえば試合)については、意見を交える。
別に菅沼じゃなくてもいい…それが天気だったり、職場の人間関係だったり、
恋人との不仲だったり、なんでもそう、知っていること(似たような例でもいい)は話せて、
知らないことは話せない。分からない。会話って、互いが同じ話題、共有する知識
(一部しか重ならなくてもいい)に乗っているから成り立つのであって、決して
相手の心へ踏み込むわけじゃない。感覚を理解するためにするんじゃない。

間に、何か、媒体が要る。

私の最大の欠点は、自分について話せないこと。自分の心理を表すすべを持たないこと。
それはもしかすると、本当は言葉ではないのかもしれない。でも言葉だと思い込んでいる。
だから、噛み合わない会話が嫌だ。噛み合わない会話をしているとイライラしてくる。
どんな話にでも応対できる人(それは私が相手の時には限らず)は素晴らしい。惹かれる。

私は視野が狭い。だから視野の狭い人が嫌いだ。

独りぼっちで考える時間が嫌いだ。だから電車も嫌い風呂も嫌い、独り観戦も嫌い。
試合を見てても酒を飲んでても嫌なことばかり頭を巡る。それをかき消すために
必死になって、痛いぐらい、無茶して遠征したりネットへかじりついたりする。

だから、今の自分が嫌だってのは、理屈じゃ説明できない。嫌なものは嫌。やめたいだけ。

麻薬は…どんどん刺激を強いものへシフトしないと、すぐに効かなくなってしまう。

生きるって本当に面倒くさい。お金稼がなきゃいけないし、ご飯食べたり、トイレ行ったり
寝たり、なんでこんなことしなきゃいけないのかっていつも思う。好きなことだけしたいのに。
おいしいもの食べたり、きれいなもの見たり、好きな人が笑ってたり、それが本当は
幸せだって知ってるし、実感もしてるけど、それが虚しいのも知ってる。

幸福ってなんだろう? ギリシアの哲人が言うように、生まれてこないこと?

言葉より先に涙が出る。鬱って便利なレッテルだと知る。鬱の人は普通じゃない。
そうやって定義=認識してもらえる。実際、普通じゃないって自覚はある。
どの街を歩いても、どのゴール裏へ行っても、自分の居場所とは思えない。浮いてる。
それは、現在の自宅も例外じゃなく―引っ越しても、そこは間違いなく仮の住まい。

私はすぐなんでも飽きる。ムダな知識をかき集めて、話を合わせているような気分になって、
ひとときだけ酔って、酔いが覚めた後、そんな自分に悲しくなる。だからまた酔おうとする。

昔は、もっと、人と人は話せば分かり合えるように思ってた。話せば聞いてくれる人がいると。
でも、そもそも私は話を聞けない。人の話を聞くのは、自分をそこへ乗せるためだ。
自分の一部にするため―応援して、感情移入するのも、そのためかもしれない。

長く封印していたワールドユースのビデオを見た。泣けた。華奢な聡太に、
そして、ハネがサッカーしている姿に。相手にチェックをかける、試合へ行けば
いくらでも何度でも展開される場面が、ものすごくいとおしくて、切なくなった。

今、当たり前に思っていることも、失ったら、ものすごく大切だと気づくんだろう。
そして私は、今、それを知っていながら、たくさんのものを捨てたがっている。

たとえば、自分の過去。

世の中は私が足踏みしても止まってはくれない。勝手に進んでいく。お前なんか
別に特別じゃなくて、これまでの歴史で数え切れないくらい現れて消えた大半の人と
なんら変わりないと叫びつつ。でも、私は私でしかない。人生のリセットボタンはない。

作家になりたかった。でも何かを書くのは自分が書きたいからで読ませるためじゃない。
SEになりたかった。でもシステムは自分を表現するために組むんじゃない。
哲学者になりたかった。でも哲学者という職業は象牙の塔へ篭る人のためにある呼称。

だから、何?


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