Land of Riches
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何を考えているか分からない、と言われる。どう言っていいのか分からない、とよく言う。
他の人は私ではない、それは絶望とほぼ同意語。話しても伝わらない。分かってもらえない。 そう諦めているように自分を思い込ませて、語るのをやめさせている。 頭の中は言葉と、言葉にならない雑多な感情―多くは不安や恐怖―でいつもいっぱいなのに。
たとえば菅沼のプレーについて語る。私は菅沼の過去(メニコンMVPとか)はよく知らない。 ただ、自分が見て受けた印象で話す。聞く場合は、知らなかったことは聞くしかなくて、 知っていること(同じ対象、たとえば試合)については、意見を交える。 別に菅沼じゃなくてもいい…それが天気だったり、職場の人間関係だったり、 恋人との不仲だったり、なんでもそう、知っていること(似たような例でもいい)は話せて、 知らないことは話せない。分からない。会話って、互いが同じ話題、共有する知識 (一部しか重ならなくてもいい)に乗っているから成り立つのであって、決して 相手の心へ踏み込むわけじゃない。感覚を理解するためにするんじゃない。
間に、何か、媒体が要る。
私の最大の欠点は、自分について話せないこと。自分の心理を表すすべを持たないこと。 それはもしかすると、本当は言葉ではないのかもしれない。でも言葉だと思い込んでいる。 だから、噛み合わない会話が嫌だ。噛み合わない会話をしているとイライラしてくる。 どんな話にでも応対できる人(それは私が相手の時には限らず)は素晴らしい。惹かれる。
私は視野が狭い。だから視野の狭い人が嫌いだ。
独りぼっちで考える時間が嫌いだ。だから電車も嫌い風呂も嫌い、独り観戦も嫌い。 試合を見てても酒を飲んでても嫌なことばかり頭を巡る。それをかき消すために 必死になって、痛いぐらい、無茶して遠征したりネットへかじりついたりする。
だから、今の自分が嫌だってのは、理屈じゃ説明できない。嫌なものは嫌。やめたいだけ。
麻薬は…どんどん刺激を強いものへシフトしないと、すぐに効かなくなってしまう。
生きるって本当に面倒くさい。お金稼がなきゃいけないし、ご飯食べたり、トイレ行ったり 寝たり、なんでこんなことしなきゃいけないのかっていつも思う。好きなことだけしたいのに。 おいしいもの食べたり、きれいなもの見たり、好きな人が笑ってたり、それが本当は 幸せだって知ってるし、実感もしてるけど、それが虚しいのも知ってる。
幸福ってなんだろう? ギリシアの哲人が言うように、生まれてこないこと?
言葉より先に涙が出る。鬱って便利なレッテルだと知る。鬱の人は普通じゃない。 そうやって定義=認識してもらえる。実際、普通じゃないって自覚はある。 どの街を歩いても、どのゴール裏へ行っても、自分の居場所とは思えない。浮いてる。 それは、現在の自宅も例外じゃなく―引っ越しても、そこは間違いなく仮の住まい。
私はすぐなんでも飽きる。ムダな知識をかき集めて、話を合わせているような気分になって、 ひとときだけ酔って、酔いが覚めた後、そんな自分に悲しくなる。だからまた酔おうとする。
昔は、もっと、人と人は話せば分かり合えるように思ってた。話せば聞いてくれる人がいると。 でも、そもそも私は話を聞けない。人の話を聞くのは、自分をそこへ乗せるためだ。 自分の一部にするため―応援して、感情移入するのも、そのためかもしれない。
長く封印していたワールドユースのビデオを見た。泣けた。華奢な聡太に、 そして、ハネがサッカーしている姿に。相手にチェックをかける、試合へ行けば いくらでも何度でも展開される場面が、ものすごくいとおしくて、切なくなった。
今、当たり前に思っていることも、失ったら、ものすごく大切だと気づくんだろう。 そして私は、今、それを知っていながら、たくさんのものを捨てたがっている。
たとえば、自分の過去。
世の中は私が足踏みしても止まってはくれない。勝手に進んでいく。お前なんか 別に特別じゃなくて、これまでの歴史で数え切れないくらい現れて消えた大半の人と なんら変わりないと叫びつつ。でも、私は私でしかない。人生のリセットボタンはない。
作家になりたかった。でも何かを書くのは自分が書きたいからで読ませるためじゃない。 SEになりたかった。でもシステムは自分を表現するために組むんじゃない。 哲学者になりたかった。でも哲学者という職業は象牙の塔へ篭る人のためにある呼称。
だから、何?
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