Land of Riches


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 2003年10月19日(日)   感情と理性、そして意思 

言葉は、感情と理屈のどちらを伝えるのにも用いられるツールです。
ネットでは、考え(理屈に感情で風味をつけたもの)を示すのに使うのが
一般的ですか…サッカーサイトにおいては。フットボール好きは語るのが好きだから。

試合を見ていると感じる…脳裏を支配するものの9割は感情、それも悪しき部類に
属するものがですが、できるだけそれをネットには書かないようにしています。
恐ろしいもので、ある対象を褒めた時よりも貶した時の方が読む人にはストレートに
受け取られ易く、私が考えている以上に、その対象が悪く思われがちだからです。
もっとも、レイソルというチームは、褒めても予想以上に取られてしまうのですが(苦笑)

私が好きな選手の大半は、アンダーエイジと言われる世代です。彼らの成長を最も
大きく左右するのは、彼らを取り巻く環境―所属チームの事情となります。
ハードもソフト(一緒にプレーする先輩たち)も大事ですが、何より重要なのは出番。
宇野沢さんがかつて言っていた「使ってくれるのがいい監督」というのが全てですが、
使ってもらえるようになる経緯に大差はなく(チョイスされやすい・されにくいは
あるにしても)私としては、与えられた出番は活かすべき、活かせなかったら
次から使われなくても仕方ない、と思っています。今では昨年のように、永田さんが
いつ外されるかビクビクすることもなくなりましたけど、本当は、これじゃダメなんですよね。

人間は何にでも慣れる、悪癖から逃れられない。

このLRは、基本的に感情の記録となってます。病んだ心との一つの付き合い方といわれて。
よって、読み返すと、同じ事象(たとえば引っ越しだったり、たとえばU-20だったり)に
対してでも、抱く気分が全く違うのが分かります。気まぐれ。大きな流れを見ると、
徐々に心のテンションが下がって、何事にも投げ槍になってきてますけど。
それに危機感を抱いてるから、マイナス思考を刺激する親との話し合いを嫌がってるんです。

そんなこと言われなくても全部分かってる、自分の考えたことを振り返る時間なんか
いらないし、そんなことに時間やエナジーを使うなら、前へ進む方法を考えたい。

私の人生において最も濃い時間だった10代終わりの1ヶ月、私は大人になりたくないと
ひたすらぼやいてました。今の私は、当時の私が嫌がった通りの、嫌な大人です。

経験は物事に対する順応性というか、おおごとにせず片づけていくスキルばかりを
つけてくれて―たとえば、貴章さんがこの時期に全治1ヶ月の足首捻挫(なんか、
ものすごい捻じ曲がり方だったようですね(号泣))という怪我を負ってしまっても、
自分の気持ちをどの方向へコントロールすればいいか、私は知っているのです。

もちろん、やりきれないけれど…2年前とは全く違う対処が取れる、それは成長といえるのか?

20代になってからの私は、予想通りに―予想以上に心身とも腐り果てていき、
朽ちた心を捨てられないのにイライラしています。あの頃も今も幸せになりたいと
望む欲求には違いないけれど、いつもいつも、四六時中、昔は良かったと嘆いてます。
どんな瞬間であっても、未来<現在<<<過去なのです。やり直せるなら、19歳の
あの1ヶ月をもう一度―その答えだけは、いまだに一度とて変わったことがありません。

こんな自分をやめられないこと。それが現在、一番の苦痛です。もしも、人生に
リセットボタンがあるなら、もう何回押しているでしょう。一体、私はどんな境遇を
得たら満足できるのでしょう? 誰にでもできる歯車の役目は嫌だ、自分にしか
できないことがしたい、必要とされたい…他の誰でもなく、自分が。歴史の教科書には
今まで地球上に誕生した人間の中で、本当にごく少数の人しか名前が載ってません。
あとは、名もなき人ばっかりなのです。今の私も、私の周りにいる人も、みんなそう。
それは分かってます。でも、それが嫌だというのです。じゃあ、どこで道を踏み外したかと
問い詰めると、昔から…未来を描くことを拒否してきた、前向きになれたことがないのです。

保母、教師、小説家、プログラマ―なりたいものとしてあげてきた職業は、自分が
なりたいものじゃなくて、自分が憧れていた対象がそういう仕事の人だっただけ。

私は、自分自身に対して、夢を抱いたことがない。
その証拠に、1997年以降、神社仏閣で自分自身に関する願い事を祈ったことがない。

自分を大切にできない人は…愛せない人は、他人をそうできない、真実だと思います。
投影と倒錯の世界にずっと生きている私―私の人生を生きたいと密かに思い続けてて、
でも今の自分を作ったのが自身ではなく、過去への憧憬が創り出した鎖なのが情けなくて。

何がいけないって、飽きっぽいのがいけないのです。仕事は半年、趣味は2・3年で飽きる。
少し前まで、生活の全てを捧げていた相手でさえ、なんでそんなに入れ込んでいたのか
理解不能とばっさり切り捨てることができる―熱しにくく、冷め易い気性が。

だからこそ、そんな自分へ対応するために、やる気になった時にやらないと、という
対処策ができてしまう…ああ、本当にダメだ。自分自身となあなあに向き合っていくための
方法があるなんて。だから、こんな私には、結婚なんて永久に無理だと思います。
誰かを好きになることができるのか、という前提は置いておいて。

…考えてみたら、ユース代表はどれだけ長くても3年しか活動しないんですよね。
実際は2年ちょっとぐらい。だから、私には向いているのかもしれません。


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