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 2003年09月18日(木)   アナライザーの憂鬱 

定理19 自分の愛するものが破壊されることを表象する人は哀しみを感ずるであろう

「エチカ」には、人間は他人を自分の意に沿わせようとする、という定理があります。
それを望むのは万人共通だと思いますが、そのために取るアクションは、人それぞれです。
直接言う、誰かを介して伝える、あるいは特異なシチュエーションを作り“気づかせる”など。
私は…言えないんですよ。仕事までも言われまくりですけど、まず言わないです。

常日頃から、私は喋りまくる人ではありますけど、あまり本音は言わないです。
LRは別として―自分の気持ちの核の部分には触れず、周囲の部分ばかりで騒ぐというか。
本当に真剣に思っていることは言えません。それは、おそらく受け入れられないのを
恐れている(正確には、その事実によって傷つくのを嫌がっている)からでしょう。
ストレス軽減には、むしろコアの部分を吐き出さないといけなくて、それを大昔から、
それこそ中学生の頃の担任との面談から言われ続けてるんですけど、ダメです。無理です。

ごくまれに…というか、極々限られた人にだけこぼすことがあって、おそらく、
その人(そういう羽目に遭ってしまった人)は、私がそれまでの付き合いとは
うって変わって“らしくないこと”ばかり言い出すのに驚くのではないでしょうか。
しかも、それが本当の気持ちだったりすることに。基本的には…弱すぎるから。

でも、さすがに今は疲れ果ててしまったので、ここで吐いておきます。おえぇぇぇ。
じゃなくて―ネットは、良いものよりも悪いものがどっさりとある、という点でも
現実世界の鏡だと考えてますけど、現実世界よりも狭いです。狭いというか、
あらゆる存在が自分に近いというか。距離ゆえに隔てられることがないから、
通常なら知り合えないものと知り合えるし、知り合い自体を作る機会も多いです。

ネットで知り合ったAさんとBさんがいます。二人とも私とは友人(と先方はおそらく
見なしている)なんですけど、この二人はお互いを憎しみあっていて、それはいいんですが、
相手の悪口を私へ言うのです。人間は誰でも人をけなすのが大好き(別に自分が
例外に該当する聖人君子だなんて口が裂けても言いません)な生き物ですけど、
彼女にとっては不倶戴天の宿敵でも、私にとっては一応友人なので、聞いてるのが辛いです。

二人と私が知り合ったのも、そして彼女らが互いを憎んでいるのもネットを介してで、
価値観があまりにずれている人同士でもさらっと巡り会ってしまう、巡り会えてしまうのが
ネットの恐ろしさだと思います。検索エンジンやリンク集は便利なツールですけど、
探し物だけでなく厄介事もヒットさせるんだな、と思いました。いや、リンク集に
HP載せてるんだから、その相手(サイトマスター)が私となんらかの接点が
あった、というぐらい気づいてほしいな、と思うのですが、その辺が言わないと
分からないんだろうと思って。でも、言ってもトラブルになるだけなのは明らかで。

HPは自分の城、言いたいことを言えばいい場所―別に間違っているとは思いません。
でも、HPって(基本的に)誰でも見れるものなんですよね。気に入らないサイトなら
二度と見なきゃいいだろ、と思うのですが、なぜかそういう場合に限って、そのページへ
固執して(管理者でなく私へ)だらだら文句を言うのですよ。価値観の相違で。
私には許容できても彼女には許せない、そんなもの世の中にたくさんあるはずですが。

…こうやって名前を伏せて書いてみても、本人はこれ見て、きっと「大変だね〜」と
他人事のように言ってくる、に100万賭けてもいいぐらいでしょう。私自身も
よくあるんですけど、問題を起こしてる人に限って自覚ゼロなんですよね。
それをネット上で表現する人は“天然荒らし”と定義されるんでしょう。

五輪代表を取り巻く環境、というか人について知れば知るほど絶望感が募るのに、
そのことで疲弊しきっているのに、もう他の厄介事なんか構ってられないんですが。
いっそネットからしばらく手をひこうかな、とも思うんですが、できないんでしょうね。
そこが意思の弱さ。そもそもU-22うんぬんだって、サーフィンしなければ、試合の
中継を見て感じる物足りなさだけで片付くんでしょうから。各種コメントも分からないし。

便利なことは素晴らしい、とは限らないのかもしれませんね。不便なのも一つの幸せ、と。

2003 9 19 wrote


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