Land of Riches
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1日が気が遠くなるように長いです。朝も昼も夜も。オフィスと電車の中は、正直 時間が流れているのかさえ疑いたくなるような気だるい、しかし精神的負荷の大きい 空間でした。あちこちにいる無意味な記号のような、敵かもしれない存在=他人が 黙々と自分の生活(特に仕事)を送っているのに辟易しつつ、時計の針が動くのを ただ祈り…望み続ける、過ぎてしまえば空虚な時間。「仕事中だから」の一言で 人間は感情を封じられねばならないのでしょうか。笑ったり怒ったりできない世界。 歯車、つまり、誰がそのタスクをこなすかには何の意義もない、そんな時間浪費。
このままじゃいけないと、分かっていても、それを打破する手段が見つかりません。 気晴らしであるはずの趣味でさえ、のめり込み、息抜きにはならず、むしろ趣味を通して 知り合った人と“趣味でしか接点がないから嗜好が一致しないと修羅場になる”経験を 繰り返し、結局「他人なんか信じるに値しない」という答えに達してしまうのです。 心安らぐ場所がない、自分の居場所はどこなのか―探したくても探せないのです。
レアルマドリードの、タレントに任せた華麗なサッカーを、素直に鑑賞できない、 それを何か(好きなものかもしれないし嫌いなものかもしれない)と比較してしか 見られない…見ることを受け入れられない私は不幸です。それはサッカー好きではないから。 スポーツ紙を埋める、五輪代表関連のネガティブな記事に、もうサッカー自体を 嫌悪しそうな心境へ陥りつつも(厳密には、自分が愛する対象を、それに関わる 存在たちが大事にしてくれないことへの憤り)帰宅してメールチェックして、某チームより 届いていたメールマガジンを読んで、頭の上から岩が3つ落ちてきた気分になる、 中途半端にダメな私です。明日は鹿島と磐田の対戦、かつての…少し前に私にとって ためらいなくゴールデンカードといえた対戦があるのですが、全く心躍りません。 まるで義務感で見に行く…足を運ぶような。楽しいサッカーなんて全クラ以来見てない、 でも、なんでか、なんでかサッカー雑誌を読み、サーフィンをし、関わらないでは 毎日が過ぎていかないのです。私が休めないのは、自分が休んでいる間も世の中が 回っていくという、当たり前のことが受け入れられなくて、遅れたくなくて、 必死だからです。乗り遅れることを恥かしいと思っているのです。自信がないから。
混乱のあまり触れ忘れましたが、昨日はメモリアルデーでした―永田記念日。 自分の中では9月はじめというイメージが強くて、日付を確認して驚いたものですが、 なぜか(エメルソン対策?)彼が延長へ突入した駒場のピッチに立ったのが1年前の 18日なのです。そして、葛藤の末―私は柏の葉へ二度と行かないとかつて誓った―に 行くのをやめた鹿島戦で彼が一気に柏の主軸へと躍り出たのは、21日でした。
サッカーを見始めて、もう7年半になりますけど、ここ1年の変化はどの1年よりも 激しくて(劇的とはあまり言いたくない)今ではレイソルの公式は毎日見てますし (その次によく見るのは有料サービスへ加入しているアントだけど、それでさえ 月に2回見れば多い方)監督の気まぐれからユースにまで足を突っ込んでみたり、 挙げ句の果てには常磐線沿線で真剣に検索している(目的語省略)自分がいます。 北松戸を越えると一気に変わりますね…今年中に実現させたいとは思うけれど。
両手両足を虫食む皮膚の炎症(回復と悪化のエンドレスループ)よりも深刻な、 拠り所を持たない(近頃、自分は孤独だという実感から、どれほど時間とお金を費やして 逃避しても逃れることができずにいます)心。常にホームシックです。
考え過ぎなのは言われなくても分かっているのですが、考えるのをそれでもやめられないのです。 貴章さんのように(微苦笑)考えても見つからない答えは探しようがないのに。
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