Land of Riches
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足踏みせずに言い訳もせずに 胸に抱き続けてる遥かな光まで一歩ずつ 昨日の僕を繰り返すだけの明日にならぬように 少しでも踏み出していこうと誓いながら
大熊ジャパンを「上」も「下」も(主に3バックのクオリティが高いという理由で) 応援しています…それなりに入れ込んでますけど、語る時―感情的にまくしたてる時、 「あいつら」だの「あの子達」だのという言葉で表現してしまうことがあるのは、 1981・82年生まれだけです。西村ジャパンの記憶。脆かったけれど、時折噛み合って 目が覚めるようなサッカーをしてくれたチーム。その発展形でもあり(正確には 「あってほしい」)生まれ変わっての第一歩でもあった、昨年のツーロン国際が 現・五輪代表世代(あくまで世代であって現在のチームにあらず)を述べる上では 欠かせない要素となっています。その“象徴”(not本質)が松井&山瀬コンビです。
松井さんは前日に「山瀬とはツーロンの時もやりやすかった」とか「ツーロンのような サッカーを再現したいですね」という発言を残しています。一方の山瀬さんも 「1トップなので、動き方は分かっています。この形(1トップ2シャドー)は ユースの時もやったし、ツーロンの時もやった。だけど1年前の話だし、その後 僕けがをしてしまった」とコメントしています。今更言うまでもなく、松井さんは ツーロンでベストエレガントプレーヤーを受賞した人ですけど、それがあったにしろ、 彼が“ツーロンのようなサッカー”を良いものと見なしているのは特筆すべきでしょう。
1トップ2シャドーという言葉(戦術としてよりも、むしろキャッチコピーとして)は 2年前までさんざん振り回されていた概念です。今回、その1トップとして嘉人さんを 据えました。ありえない選択です。いや、全ては前日練習の布陣で予測できたこと。 GKの不確定要素ぶりが多少増したかというぐらいで。3バック(リベロに、Jリーグで ボランチとして活躍している選手を据え、その展開力に期待するというこれまでの 正しかったかは別として貫いてきたものを無視するような人選の)へ守備において 並々ならぬ負荷がかかるのも、クロッサーがボールを上げる先がないのも、自明の理。
試合を重ねれば重ねるほど期待は失せ、空しさだけが募り、もう誰が悪いと個々の名前を 挙げても仕方がなく、また、実際にそうすることができない領域へ達しています。 (那須さん率いる)3バックは個人の力で守備を頑張っていたけれど、最後尾のGKは 頼りないし、ボランチとシャドーの一人(=病み上がりの山瀬さん)はいるのか いないか分からないし、そもそもどうやってゴールへ近づいていくのか、フィニッシュへ 至るのか、さっぱり分かりません。いや、山本ジャパンが始動して1年以上になるのに、 いまだに何がしたいのか理解できません。予測不能。フットボールの組織として 全く成立しているといえない11人が、そこにいます。そして、そこにいる彼らは 「谷間の世代」という形容に甘んじている、あの頃、記憶…時間を共有した選手と、 彼らとしのぎを削ってきた同年代の選手なのです。好きなものがけなされたり 壊されたりするのはヒトとして耐え難い苦痛ですが、要した時間はたった1年。 いや、もう悲しみや怒りすら湧き上がらなくなって、どれくらいになるでしょう?
…私には7月の日韓戦の記憶がほとんどないのです。その直前に衝撃的な出来事があって。 更にさかのぼっても、執着する労力を注ぐのが辛いという割り切りが、既にあるのです。 “見に行ってもしょうがない”と思ってしまっているのです。それでも行かねばと思いつつ。
試合が終わってから3時間近く経過しているので、これでも電話で話したりして、 "Passion"に近い部分は発散されてしまった状態です。残っているのは空しさのみ。 仕事場でレアルのビデオを貸してあげようかと言われたのですが、気乗りしませんでした。 あんなのを見たら、さして強くもないアンダー代表を見られなくなりそうだから。 というか、どうして見続けているのか、自分が分からなくなりそうだから。
何をどうすればいいのか分からないけれど、どうにかなるはずと思っている自分がいます。 このままじゃ終われない…その言葉を私は決して忘れられないのです。
…高松さんは、眼差しはともかく、“犬”の顔じゃないですよ?(にっこり)
2003 9 18 wrote
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