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ドラマDモードの「陰陽師」見てボロ泣きしました…ううっううっううっ。 言葉は、コミュニケーションの道具です。人間は成長と共に語彙を増やし、 定義の共通認識―たとえば「犬」とはどんな生き物か―なる前提に基づいて、日々言葉を繰り出します。 1匹1匹の犬は違うのに、なぜそれを犬と判別できるのか…という問題(単語とはその指す対象を “それ以外のものではない”と主張するためのもので、対象を定義しているわけではない)がありますけど、 ここは置いておいて、今回は共有定義の狭間へ…イマジネーションの限界へ沈みたいと思います。 >不似合いな気がする大きな番号を背負って司令塔の位置へ陣取ったのは、野沢さん。 >ユース代表へ合流したのは、1月の候補合宿以来ですが―ブランクを感じさせない君臨ぶりです。 >早速、右へ流れた清野さんへボールを振り出し、鮮やかに蹴り込ませる先制弾を演出します。 昨年8月11日の、SBSカップ(U-19 vs ユトレヒト)のレポートより抜粋しました。 私はサッカーに関しては素人なので、言葉を書き連ねる前の段階―感覚の時点で ピッチで展開されたプレーを正確に把握できる能力がなく、そんな“霞んだ眼”が受け取った イメージを表現することにいつも主眼を置いてます。上の3行でいうならば、 アクセントは2行目の「ブランクを感じさせない君臨ぶり」についていて、 最終行にある、振り出されたボールがいかにすごかったかの描写は実に適当なものです。 確か(…)右斜め前方への速いグラウンダー、のはずです。その繰り出しにおいて、 彼が視野を確保するすべやら巧みな脚の動きやらについて語れば、また違ったサッカー観“人”記になります。 結局サッカーのプレーは身体表現で、言葉を介した表現とは全く違う次元にあるので、 言ってしまえばサッカーを言葉で表現しきるなんて不可能で、所詮レポートなど読者様の想像力頼りなのです。 トリッキーだのスキルフルだのファンタジスタだの、仮に野沢さんを形容する言葉をいくつ並べたとしても、 読者様の頭に浮かぶのは個々の単語に対し読者様が定義しているイメージの集合であって、 それがリアルな野沢拓也と重なる可能性は非常に薄いのです。百聞は一見にしかず、とはよく言ったもの。 ピッチに立つ以前の段階での“情報”―ボールキープに有利とかいうO脚と多彩なパスを可能にする 柔らかい膝下と共に生まれながらにして与えられた末端血行障害―ですら、現実離れしてます。 天才、ゲームメーカー、10番、王様…人の目を惹いてやまない肩書をいくつ捧げられていることでしょう。 名古屋空港で野沢さんからコメントを取っていた記者は、柵の中で話していた人ともう1人の計2人のような記憶が…。 しかもですね、笑えることに、と言っていいのでしょうか…私は、私の場合は、 未知―正確には記憶抹消―なる時点で提供された言葉の羅列によって形成された“野沢拓也の像”が 8月11日に、きれいぴったりとリアリティに重なってしまったのですよ! 聞いていた通りだ、と! そう打ちのめされた私の書く駄文で、また別の人が、全く異なるイメージを形作る…世の中、そんな悪循環です。 幻想を消せるのは現実。退かず、前へ前へ進むのみ―たとえギャップが世間を落胆させても、それが現実ならば。 …どうも最近「たっくん」について語る周期が短くなってませんか? 私も「たっくん病」? タクヤという名前だけで反応し始めたら危険領域に入ったと思いますけれど、まだまだだと自分では(苦笑) たとえば「犬」と聞いて(Webの場合は見て)何を思い浮かべるかなんて人それぞれで、 ブルドッグだったりダックスフンドだったりコーギーだったり秋田犬だったり、 そんなどれでもなく漠然と dog を思い浮かべてたりするのが普通なんでしょうけど、 そこである人間を思い浮かべるように自分を“教育”することも可能なわけで、 こんな文字の―黒い点の集まりを意味あるものとして認識するのが自然とはいえ―羅列が 真実を伝えられるはずがないのです。「犬かわいい」この一文が一体どれだけ多くの事象をカバーできるでしょう。 それでも書く、主張する、伝えようとする…この悲しい性は何ゆえなのでしょう。独りでは生きていけないから? 4/13出迎え=総人数17人(のはず)、視認14人、接触1人 4/15見送り=総人数24人、視認21人(うち2人は名前分からず)、接触7人 さて、私も次回(一人?!)に備えて傾向と対策を分析しておきましょうか…。 視認できない割合は約15%―となると、また3〜4人の選手は見かけもしなかった、というオチになりそうです(殴) 情けないのは、この期に及んで、まだ顔と名前の一致しない選手がユース代表にいること。 いくら顔を覚えるのが苦手とはいえ、ソラヲミナヨの管理人に名を連ねている者としていいんでしょうか? ユース代表の選手は、複数でグループになって動くことが多いので、正確には「接触2組+3人」です。 昇平さんと和幸さんにツーショットを頼んだんですが、昇平さんにしか声をかけなかったからか、 和幸さんの目線は多分カメラを外れている…現像してみないと分かりませんが(帰国後?!) 追い掛けた遼一さんが左側でなかったならなぁ…(まだ言っている。割と根に持つタイプ) "the magic of love" 羽田さんはいつも考えながらプレーしているそうですけど、人間はいつも未来を予想し、 (考えなくても分かること、たとえばいつか夜も明けて朝がくることは刷り込んで) その予測力は…思慮分別は年齢と共に経験を積むと上昇していきます。 私は、自分が想像できる範囲内の事象(及び自分でも実現可能な“未来”<コトと読んで下さい)には 興味が湧かなくて、考えの及ばない、読み切れない対象に強く惹かれます。 本山雅志のプレーの選択、羽田憲司のインターセプト、野沢拓也のスルーパス………そして、生老病死。 裏付けのないものは信じないくせに、自分を超えた領域を望み、好む。 DNAにないものねだりが刻み込まれている気がします。補完を求めている、というべきか。 今日の一言:「アルゼンチンは日本と昼と夜がすっかり反対です〜」
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