Land of Riches
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2001年01月04日(木) |
迷い続けた DAYS 思い出にして |
できるといいな…と思いつつ聴いてます(私とSさんの共通点、これがかなり大きいかも(笑))
昨夜は、休憩時間すら取れなかった激務の疲れを引きずって、高校時代の悪友M嬢と会ってきました。 M嬢も昔から常に悩みの絶えない―私とは全く違う次元で―人で、よく愚痴につきあわされてきたんですけど、 私から弱音を吐くことは今回までなかったので、「コマ(オフラインでのコールネーム。絶滅寸前)は 強い人かと思ってた」と言われました(微苦笑) 本当は昔からナイーブで弱い人間だったんですが、 それを見せた人が片手の指で数える程しかいなかっただけです。“親友”いないし(更に微苦笑)
M嬢は自分を見つめ直そうと高校時代の日記を読み返して、当時、私が自身を“整理”するために 使っていた方法を思い出させてくれました。疑似多重人格。そんなのつけとくなよ…と思いましたが(笑) 自分がいますよね。そこから大嫌いな部分(またはどうしても守りたい大好きな部分)を“切り取り”別の名前をつけ、 「それは自分とは別!」と思い込んで扱うだけです。よくいう“もう一人の自分”に近いかもしれません。 ただ、もうちょっと自分との境界線をハッキリさせて“別の名の役を演じる”ような感じ? (今まで内緒にしてましたけど、「コマ」というのは、その“別人”のあだ名です、本来は>Yさん)
私もM嬢もレベルの上下すらあれ、悩みの根本原因は高校時代と全く変わらず、ただ対処法だけが違うのに気づいて、 進歩してるか退化してるか分からないね、と笑いました。お互い、明らかに鈍くなってます。 世界を突き放して見るというか…いろんなことを「仕方ない」で済ませられるようになったというか。 昔から大人になるのが嫌だったんですけど、実際、年齢だけ重ねてしまって、あれだけ嫌がっていた “物事に対しての反応がどんどん乏しくなっていく”オトナになってしまっているのですから、 いくら精神年齢は若いままだと思っていても、比較対象たる現実(=友達)と自己検証に走れば一目瞭然。 LINDBERG「胸騒ぎのAFTER SCHOOL」の歌詞だって、昔は意味が分からなかったけど、今は身に染みます。
1年前の1月3日、私とM嬢が出会った舞台でもある高校1年次のクラスの同窓会がありました。 生徒は常にテストで順位を争い、教師は担当クラスから何人を有名国立大(T大K大N大等)へ送れるかを競うという 実にすさんだ、いわゆる“進学校”にありながら、1年次の担任K先生は他の先生と違って 課外活動を奨励したり(他の教師は少しでも成績が下がったら「部活辞めろ」を連発していた) 話が分かるというか、人間味のある人で、すごく好きだったんです。その周りのメンバーも。 後でM嬢に「クラスの女子で来なかったのはコマともう一人だけだよ」と聞いて、すごく悔しかったです。 もちろん、1年前の私―1999年末から「1月3日は千葉へ集合!打倒市船!」を連発していた―は 迷わず欠席を通知したのですが、1日でもずれていれば…とも、当時から思ってました。 M嬢いわく、先生も私に何やら説教したがっていたようですし(笑) <当時かなり生意気な生徒でした 学校でいい想い出のある時期は本当に少ないので、惜しい機会を逃したと今でも悔やんでます。 いや、千葉へ行かなかったら、その何十倍何百倍の後悔を抱いていること間違いないですが。
千葉といえば、HPとのリンク等で東福岡高校の先生にお世話になったことがあるんですけど、 ヒガシの先生は皆さん生徒思いの魅力的な方ばかりで(部外者の私などにまで気遣って下さる) 文化祭レポートにも書いたかもしれませんが、生徒の皆さんが本当に羨ましいです。 大学まで行かないと自分の師を選べないのが普通の教育システムなので、 いい先生と巡り会えた皆さん、その想い出は絶対に大事にした方がいいですよ。
本当は1年前、実際に千葉で味わった体験というか気分について書くべきなんでしょうけど、 それについては、以前BBS「廊下の伝言板」で長々と語ったこともあるので、割愛します。 ほとんど書き込みないんで(自爆)まだログは残っているはずです。 箇条書きで要約するとこんな感じですか(すごく傲慢な言い振りですけど、譲れないことなので…)
・あの試合は市船が勝ったのではなくてヒガシが負けただけ、それも(主にエースの)“自滅”で ・“ヒガシの10番”しか見てないので他の人、特に市船側選手の印象は皆無に近い ・約1ヶ月半後に一目惚れした“市船のキャプテン”は、その時点ではもう“鹿島の一員”だった
今あの試合について書くと、とにかく詭弁だらけになってしまうのですが(自分自身を納得させるためだけに) 現在の私にとって重要なのは2番目でしょう。だから、羽田さんや聡太くんを好きになれるんです。 いや、唯一市船で記憶にある原さんですら、宮原さんとの相性で好感持ってますし、本橋くんは市船での彼しか知らないのに好きですし(^^; (市船ユニを“受け付けない”のは、73回選手権あたりから続いていることです(苦笑) 75回の北嶋さんを三ッ沢で見ているので、絶対京輔さんも見ているはず…)
だから、怖くて市船@78回の映像は見られません。開会式のオーロラビジョンで少し見てしまいましたが。 ビデオは自分の記憶を塗り替えてしまうのです。極力、レポートを書いていない試合のは見たくない…。 (同じ理由で他人に理解されないぐらい拒絶しているのが、フランス・ワールドカップの3試合) 昔、サンフがステージ優勝を決めた磐田戦―ゴールデンタイムテレ朝系で生中継だった記憶が―のビデオを 1〜2年後に見た時、リアルタイムの時は広島側しか見ていなかったのに、ビデオ鑑賞では ジュビロの俊哉さんあたりばかり見ている自分が―その変わりぶりの鮮やかさに嫌気が差しました。 わがまま言ってお借りしたヒガシ@76回でも、最初は本山さんしか見てなかったのに、 宮原さん→金古さん→恭平さんと自分の興味の移動につれ見返すごとに“焦点”がずれるのが、本当に嫌でした。 ……間違いなく、今、あの試合を見たら、ヒガシではなく市船を見てしまう自分が想像できるんです(震)
今日の一言:「俊太、サッカーはキャプテン一人でするものじゃないし、抱え込む必要なんかないんだって!!」
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